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厚木・愛川・清川 社会

公開日:2025.08.15

厚木市下荻野 高足登美子さん(85)貞治さん(87)
真っ赤な空と機銃掃射
恐怖の体験、今も思い出す

  • 高足貞治さん(左)と登美子さん

 戦後80年の節目を前に、厚木市下荻野に住む高足登美子さん(85)と貞治さん(87)夫妻が、幼少期の戦争体験を語った。

 登美子さんの脳裏には、5歳の時に目の当たりにした平塚空襲の光景が焼き付いている。当時暮らしていた厚木市岡田の防空壕(ごう)から見た空は、不気味なまでに赤く染まっていたという。「もし厚木に落ちたら」。幼心に刺さった恐怖は今も鮮明だ。出征する父の背中を見送った記憶、硬い大豆をかじって飢えをしのいだ日々も、戦争の日常として記憶に刻まれている。

 貞治さんは小学1年生だった1945年4月、横浜にいた。下校中に米軍戦闘機の機銃掃射に遭遇したことを覚えている。「上から弾が地面を走ってきた」。必死で田んぼの脇に身を伏せ、すがるようにして猛掃射から逃れた。命からがら自宅にたどり着き、母の顔を見た途端、こらえていた恐怖と安堵で、泣きじゃくった。

 終戦の日、玉音放送の意味は分からなかった。だが「もう狙われない」という安堵(あんど)感があった。戦禍の傷は深く、登美子さんは今もB29を連想させる灰色を忌み嫌う。

「思い出すのは辛いですが、記憶を語らないことも一つの罪」。夫妻は、現代の紛争地で怯える子どもたちに自らの姿を重ねる。「戦争ほど馬鹿げた行為はありません。不安に脅える日々を誰にも味わってほしくない」

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