厚木・愛川・清川 社会
公開日:2025.08.15
厚木市森の里 石山 重次さん(95)
樺太で過ごした戦中戦後
「穏やかだった」引揚までの2年
戦時中の移民政策で樺太(現サハリン)に移住した両親のもと、1930年に生まれた。家はニシン漁の網元。「日本人のほかにアイヌなど、さまざまな人種が働いている環境の中で育った」
樺太でも日本のニュースは耳に入った。日本軍が真珠湾攻撃で米軍に甚大な被害を与えたことなどが、大々的に報じられていた。「町は戦勝気分。子どもの心にも、日本が勝つと思っていた」
徴兵された知り合いはいたが、家族は戦地には赴かず。自身は小学校を卒業すると汽車で2時間かけて、旧制中学校に進学した。気が付けば勉強よりも鉄道維持のため、通信系の仕事に駆り出されるようになった。その頃から「日本が危ない」とのうわさはあったという。
終戦の知らせは職場の班長に聞かされた。「日本が負けた、と。それ以上のことはなかった」。その日から数日経つと、町にはロシアの軍隊が入ってきたが、危害を加えられることは全くなかった。「ロシア兵は優しかった。憎しみはなく、仲良く暮らすことを考えていた」と振り返るように、日本に帰国するまでの2年間は穏やかに過ごした。
ただ、その間に母を病気で、兄2人を遭難で亡くした。「引き揚げの際、3人の骨を持って帰ることができず後悔している。生きている間にもう一度、樺太の大地を踏みたかった」
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