厚木・愛川・清川 社会
公開日:2025.08.15
厚木市小野 三橋道明さん(91)小夜子さん(89)
身近な恐怖、今も鮮明に
校舎は兵隊が使い、寺で学んだ
道明さんは小学6年生の夏に玉音放送を聞いた。近所の家に集まった大勢のなかでラジオの放送に耳を傾けた。「泣き伏す人の声と、喜ぶ人の声が入り混じっていた」と、当時の様子を語る。
道明さんは小野、小夜子さんは上古沢で育った。ともに戦前の生まれだ。兵隊が校舎を使い、子どもは寺などで分散教育を受けた。当時の授業は午前中が低学年で午後が高学年。農繁期には学校が休みになることもあった。
空襲警報が鳴ると防災頭巾を被り、身を低くして家へ戻る。軍事教育として、桑の木の皮を繊維にすることも学んだ。「食べ物が無く、みんなで開墾してサツマイモを作った」と道明さん。現金収入は養蚕頼み。甘いものがなく、ケンポナシやグミが菓子の代わり。「チガヤは穂が出る前に噛むと甘いの」と小夜子さん。
道明さんは河川工事でいた玉川で機銃掃射を目の当たりにした。「誰もケガしなかったが恐ろしかった」。小夜子さんは小鮎小学校の土手にあった防空壕で兵士と避難したこと、校舎に生々しい銃痕があったことも覚えているという。
大人になり道明さんは教師になった。「辛い時代を思い出す」からと、当時の話は詳しくは伝えてこなかった。2人は「戦争は絶対にだめ。良いことは何もない。すべての国が仲良くしてほしい」と口をそろえる。
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