厚木・愛川・清川 社会
公開日:2025.08.15
厚木市岡田 岸本吉男さん(89)
妹と2人で逃げたあぜ道
両親と弟は自宅で犠牲に
「爆弾や焼夷弾(しょういだん)は、まるで雨あられのように降り注いできました」。静かにそう語るのは厚木市岡田に住む岸本吉男さん(89)。10歳だった終戦時、故郷の兵庫県姫路市で2度にわたり大規模な空襲を経験した。近くに航空機を製造する工場があり、攻撃の目標にされた。
最初の空襲で、家にいた両親と当時5歳の弟は犠牲となり、ラムネなどの飲料を製造していた実家も失った。小学校にいて助かった岸本さんは、いつ現れるかもしれない米軍機の機銃掃射に怯(おび)えながら幼い妹の手を引き、田んぼのあぜ道を夢中で逃げた。
川の土手の防空壕(ごう)へ逃げようとした人々が、米軍の機銃掃射で撃たれ、うめき声をあげる光景も目にしたという。焼け跡から父の頭蓋骨(ずがいこつ)を見つけ、かめに入れて供養したという。
戦争はさらに家族を奪った。輸送船に乗っていた長兄はフィリピン沖で米軍に沈められ戦死した。偵察機に乗っていた次兄は戦死を免れたものの、戦争について多くを語らなかった。
戦後はおばの家に身を寄せ、定時制高校を経て造船や原子力関係の仕事で日本の復興を支えた。「世界では今なお戦争が続く。災害もいつ発生するか分からない。平和を当たり前のこととせず、危機意識を持つことが大切」。そう話す言葉には戦争を生き抜いた者の切実な重みがこもっていた。
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