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厚木・愛川・清川 社会

公開日:2025.08.22

戦後80年 平和へのアクション 厚木市山際 潮田春男さん(76)
もっと話を聞いておけば...。
後世に伝える使命

  • 出征前の騰さんの写真を手にする潮田さん

 「父からもっと話を聞いておけばよかった。それが心残り」

 2017年から厚木市遺族会の会長を務める潮田春男さん(76)は、そう呟く。

 春男さんは叔父・騰(のぼる)さんを太平洋戦争で亡くしている。ただし、叔父の顔は写真でしか見たことがない。騰さんは、日本海軍が実戦投入した神風特別攻撃隊の一員として出撃。台湾沖東方で消息を絶ったとされている。記録によれば、1944年10月13日、まだ20歳という若さだった。

 特攻隊に入ることに、家族、特に母親は強く反対したが、本人の意思が固く翻意させることはできなかった。出撃の前には相模陸軍飛行場(愛川町)や自宅の上空を旋回し、家族に別れを告げたと聞かされた。「当時のことは想像もつかないが、本人としてはやるしかなかったのではないか」。思いをはせても、答えは分からない。

 春男さんの家には騰さんの写真が何枚も残されている。その中には同年代の兵士が集まった宴会の写真もある。食事と酒を前に、全員が笑顔を浮かべているセピア色の写真。「きっと出征前に集まった際の写真でしょう。全員がすごく良い笑顔をしているのが、余計につらいですよね」

 春男さんの父・正男さんも戦地に赴き、終戦後は捕虜となってシベリアに抑留。日本に戻ってきたときには、終戦から2年が経っていた。あまりにやせ細っていて、家族も分からないくらいだったという。

 「父は家では戦争の話を一切しなかった。自分も聞かなかった。もしかしたらタブーだったのかもしれない」。だから叔父の話や父の話は、遺族会に入った後に叔母に聞いたり、写真や戸籍の記録から自らが調べたりして分かったものだ。実は遺族会の中でも、戦争に赴いた家族から細かい話を聞いた人は少ないそうだ。「辛かった思い出だからこそ、子どもたちには話せなかったのかもしれない」

 遺族会の会長になった今、思うことがある。戦没者の思いや、戦争があったという事実を伝えていくことだ。市内の小学生から高校生までを招待し、平和学習として広島を訪問するのもその一環だ。

 「世界ではいまだに紛争が続いている。もしかしたら自分たちが戦争の当事者になるかも知れない。いまでこそ平和は当たり前になっているがこれまでに起きたことを知り、忘れないでほしい」。戦争の記憶を風化させないため、これからも思いを紡ぎ続ける。

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