市教育委員会の教育長に就任した 人見 和人さん 寺尾釜田在住 60歳
「縁」が紡いだ教育の道
○…不在となっていた教育長への任命。「自分がこんな責任ある立場になるとは思わなかったから、市長からの打診にすぐには返事しなかった」と話す。しかし、急逝した前教育長の宇根真琴氏とは同年代の教員で、昔からの顔なじみ。校長会で共に会長・副会長を務めたこともあった。「やり残したことがあると言うには、あまりに早い逝去。宇根さんがやりたかったことを自分が少しでも実践できればと思い、受けることにした」と心境を語る。
○…明治大学政治経済学部出身。元々は記者やツアーコンダクターなど様々なものを見聞できる職に就きたくて選んだ学部だった。それまで考えてもいなかった教師に転身したのは、最初の職を辞めたあと事務として入った相模原市の学校の教頭の勧めがきっかけ。すぐに通信教育で資格を取り、1981年に土棚小に赴任した。以来35年、綾瀬の教育に携わり、早園小と天台小の校長も歴任した。
○…横浜市保土ヶ谷区で生まれ育つ。結婚後、自宅を購入し綾瀬に移住。子どもは独立し、今は夫人と2人で暮らす。趣味は2番目の赴任先である綾南小時代から続けていた少年サッカーチームの指導だったが、「教育長に専念するため今はやめて、県と市のサッカー協会の役員も降りた。仏像と鉄道も好きだけど、要は京都や奈良でしょう。今は時間がね。趣味なくなっちゃって、どうするかが悩みかな」と大きく笑う。
○…子どもとのコミュニケーションが好きで、サッカーチームに携わる前は休み時間や放課後に児童とよく遊んでいた。接点が減る校長になってからも、積極的に話しかけるようにしていた。「遠足や修学旅行で、『校長先生!』って話しかけて欲しかったから」と冗談めかし笑うが、今後の話になると真剣な眼差しに。「文化、芸術、スポーツと子どもも大人も関係なく、学びたいと思った時にと学べる環境を整備したい」と意気込みを語った。