五輪で銀、銅メダルの選手たちがインタビューで口にするのは「悔しい」「残念だ」。
金でなきゃいけない。一番でなきゃいけない。そう話します。
明治4年、政府が岩倉具視を団長に、使節団を欧米に送りました。2年で12カ国。この使節団が日本の政策を作ったのです。
彼らは、アメリカに行き議会を傍聴しました。そこには喧々諤々の議論が展開されていました。イメージしたのは魚市場の競り。日本では殿様の鶴の一声ですべてが決まります。「民主主義は合わない」。使節団が選んだのはプロイセン(現ドイツ)のビスマルク体制でした。上から下へ、という整然たる社会体制。これを持って帰りました。そしてできたのが帝国主義です。徴兵制をとりました。身分社会を明確にし、戸籍もつくりました。欧米に戸籍はありません。目指したのは「富国強兵」。強くなきゃダメ。弱きものには仕事すら与えない。
ロシア帝国最後の皇太子アレクセイが国賓で日本に来ました。その際、東京では浮浪者狩りが行われました。この時にできたのが東京療育院です。弱さを見せるのは東京の恥。知恵おくれの子どもを、白痴、痴愚、魯鈍と呼び、鈍くておろかだと決めつけました。ヨーロッパも同じです。イディオットと呼んでいました。取るに足らない人という意味です。しかし、日本と欧米では、その後の歴史に違いが出ました。第一次世界大戦時、兵隊が負傷して帰ってきます。アメリカは「リハビリテーション」を立ち上げました。不自由な体を補充します。この時、手を負傷し煙草のマッチが擦れない人のためにライターができたといわれています。戦後の日本にも同じようにリハビリテーションが入ってきました。損傷した機能の回復。しかし、リハビリテーションは本来「人間性の回復」という意味です。日本はその思想を受け継がなかったのでしょう。その結果、日本では負傷した兵隊を「廃兵」と呼ぶようになりました。
強くなければいけない―
蓮舫さんは言いました。「なぜ1位じゃなければいけない。2位じゃダメなんですか」と。
せっかく頑張ったのに銀、銅で「悔しい」と話す姿は、私にはかわいそうに見えました。これだけ優れているのに。
五輪には国の名誉がかかってしまいます。そのプレッシャーと闘いながら獲得した銀。褒めてあげたいです。日本は1番第一主義のように思えます。本当にこれでいいのでしょうか。
福祉と教育の論理は同じです。
厚木にかつて難民の村がありました。そこに暮らしていた小学5年生のベトナム人の女の子の話です。運動会のかけっこで、その子の前を走っていた子が転んで泣き出し、うずくまってしまいました。ベトナム人の少女は、手で引っ張り上げて一緒にゴールしました。結果はビリ。先生は言いました。「これは競争なんだから助けなくていいんだよ」と。すると少女は言いました「助ける、なぜ悪い」―。これが教育、福祉の論理です。ベトナム人の少女から教えられました。
長野五輪でアメリカのリピンスキーというお嬢さんがフィギュアで優勝しました。リピンスキーは長野の子ども病院に赴き、自分がファンからもらったぬいぐるみを病児に配って歩きました。詰めかけたメディアに対してリピンスキーは「これはプライベートだから、取材しないでください」と言いました。五輪の精神というのは、本来こうあるべきなのではないのでしょうか。リピンスキーを育てた母親は実に立派です。
五輪は強さを誇ると同時に、弱さとともに歩む”平和の精神”を表してほしいと思います。
|
<PR>
横須賀版のコラム最新6件
|
|
|
|
|
|