滑らかな曲線を描くフォルム、ずしりとした堅牢なボディ。久里浜在住の浅葉光男さんは今夏、自身の背丈ほどある手作りのウッドベースを完成させた。「楽器の良し悪しは自分が決める」。左手がネックを動き、右手が4本の弦を弾く。そのシルエットはまるで恋人とダンスを踊っているかのよう。1年という長い制作期間が"2人"の間に横たわり、深い理解が生まれ、ふくよかな低音が窓辺から吹き込む潮風を振動させる。
手作り四弦琴、響かせて
戦後日本で巻き起こったハワイアンブーム。鎌倉で生まれ、幼い頃からフラダンスとともに砂浜から流れる甘く美しい調べを耳にして育った。
若い頃は、会社の軽音楽部でウッドベースを担当。演奏するだけでは飽き足らず、「いつか自分の手で作ってみたい」と密かな夢を抱いていた。
まずはウクレレから
40代になると、経済的にゆとりができた。「まずは手始めに小さな楽器から」とウクレレ作りを開始。ただ当時はインターネットが普及しておらず、簡単に情報が手に入らない。かと言って「人に教えられるのは嫌い」だった。科学部品メーカーで培った技術を活かし、独学で制作に挑戦。市販品を解体し、構造を研究、設計図を描いた。全国の材木屋を巡り、「日本三大美林」と称される青森ヒバ、秋田スギ、木曽ヒノキの天然ものを使用。納得のいく音を追求した。
フリーマーケットで自慢のウクレレを披露した際に「演奏を教えてほしい」と声を掛けられ、音楽教室を開くことに。教え子にプレゼントする張り合いもでき、一人ひとりの顔を思い浮かべながら、仕事終わりに毎日1時間ずつコツコツ作業。指の長さや握力に合わせて、粉骨砕身の努力をいとわなかった。その数は150以上にものぼる。
案ずるより産むが易し
「もうできるかもしれない」。ウクレレ作りで自信をつけた昨年、念願だったウッドベース制作を決心した。角材から型を切って、カンナや彫刻刀で"スイスイ"とリズミカルに数ミリ単位で削る。弦が切れ、板が折れ、作って壊しの繰り返し。「もう無理だ」と諦観する中で目を閉じれば自身が演奏する姿が眼裏に張りついた。フレットがない巨大な楽器の完成に何とか漕ぎつけた。
「アトリエ」と呼ぶ野比にある一軒家には、ウッドベースと併せて自作のチェロも飾られている。実際に触れてみると人の手のぬくもりが感じられ、時を重ねるにつれて味のある濃い飴色のグラデーションに変化する。「制作の極意はとにかくやる気。年齢は関係ない。ベースは魂の欠片を注入した集大成」と言うが、「今度はビオラでも作ろうか」と創作意欲は衰えることはない。
穏やかな宵には一人静かに演奏練習。「おやじバンド」を意味する「MAKUA(マークア) KANE(カーネ)」のメンバーとして未だ舞台に立ち続け、音色で人を和ませ、慰める。ハワイアンに魅せられた人生の黄昏を過ごしている。
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