横須賀・三浦 コラム
公開日:2023.05.26
"海の隼"をあるく
〜按針が見たニッポン〜05 大坂編(1)作・藤野浩章
「当って砕けろだ。それしかあるまい」(一章)
◇
乗組員を代表して大坂へ向かったのはアダムス、そして砲手のヘルツゾーンだった。
堺の港までは5日間、そこから駕籠(かご)に乗ってついに大坂城へ至る。日本に漂着して1カ月足らず。5月12日に、彼はついに日本の"王"に謁見(えっけん)することになったのだ。
大阪城のシンボルになっている天守閣は、豊臣、徳川を経て、現在は3代目。アダムスが訪れた1600年当時は現在と少し違う位置にあったというが、外観は豊臣期に近いという。
インバウンド観光が復活を見せる現在、大阪城周辺はまるで外国に来たかのような賑わい。日本人を見つけるのが大変なほどだった。誰もが長時間並んで天守閣に上ったり、すぐ下で写真を撮っていたが、この城をじっくり眺めるベストスポットは西の丸庭園だ。天守閣から堀を挟んで西側のやや低い位置にある広大な庭園で、花見の時期にはたくさんの人が訪れる場所。
アダムスが謁見する少し前、徳川家康はこの位置に天守の建設を開始した。5月には建設中だったと思われるが、当時の大坂城には2つの天守が存在したことになる。まさに家康が権力の絶頂に上り詰めようとしていたタイミングで、アダムスが訪れたのだ。
入園料がかかるからか、西の丸は閑散としていて、天守閣を様々な角度からじっくり観察することができた。アダムスも、きっとこの場所から壮麗な城を眺めていたに違いない。いよいよ、運命を決する会見が、ここで始まったのだ。
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