横須賀・三浦 コラム
公開日:2026.02.20
三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜
第32回 文・写真 藤野浩章
「薪(まき)割り、風呂炊きも致しますゆえ」
◇
安政2(1855)年7月「このたび藩公より洋式船の建造を命じられましたので、造船術そして砲術をご教授願えれば」と、22歳の桂小五郎が三郎助を訪ねて来る。砲術だけでなく日本初の洋式軍艦である鳳凰丸を建造した三郎助もまた、知る人ぞ知る存在になっていたのだ。
「差し出がましいのですが、先ほど見掛けました物置小屋でも構いませぬが」。突然の弟子入りの話に驚いたものの、次世代を育てる希望を抱いた三郎助だが、問題は場所だった。
当時、三郎助の役宅に住んでいたのは妻のすず、長男恒太郎(つねたろう)、次男英(ふさ)次郎(じろう)の一家4人に加え、下男は鰐平(わにへい)ともう一人、さらに下女が1名の合計7名。80石の公務員に過ぎない彼が、実は長州で90石を得ている桂を物置小屋にというのは何とも気が引ける話だった。ちなみに1石とは1人が1年間に食べる米の量。一説によると現在の価値で10〜15万円くらい。そうすると三郎助の年収は今の一千万円弱か。しかし約半分の年貢に加え家人の手当や経費の支出、さらに激しい物価高騰で幕末の武士の生活は決して楽ではなかったという。
結局、決まったのは物置小屋ですらない台所脇の"漬物小屋"--こうして後に歴史に名を刻む2人が、期間は短かったものの、実に密度の濃い、忘れられない交流をすることになった。
しかし後に過激化し朝廷を攻撃し幕府と2回戦うことになる長州の中心人物と、幕府に殉じた三郎助の関わりは重大な意味を持つような気がする。もう少し、この動きを追ってみたい。
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