横須賀・三浦 コラム
公開日:2023.07.21
"海の隼"をあるく
〜按針が見たニッポン〜13 浦賀編(4)作・藤野浩章
東叶(ひがしかのう)神社から歩き始めて5分も経たないうちに、アダムスの痕跡が見つかった。
洲崎(すざき)町内会館に掲げられている看板を読むと、この裏山のあたりには三浦按針(あんじん)の屋敷があったが、場所は定かではないと書かれていた。改めて背後を見ると、東叶神社裏手の浦賀城跡から小高い丘が続いている。
浦賀城は、北条氏康(うじやす)が築き、秀吉による小田原征伐の後に廃城となったという説があり、アダムスが訪れた時にはすでに城としての機能は失われていただろう。しかしこの辺りが浦賀の中心地であったことは変わらなかったはず。そんな場所に、やがて彼は屋敷を構えるのだ。
思えば浦賀は、この後アダムスがずっとこだわり続けた地。彼が実際に住んでいたかは疑わしいというが、この港への強い影響力を示すものが屋敷だったのだろう。
もう1つ、看板で目を引いたのは「(近くに)彼が勧請(かんじょう)した社があった」という表記だ。キリスト教徒であるアダムスがあっさりと改宗したとは考えにくいから、やはりこれは処世術の一環だったに違いない。布教と貿易があくまでもセットになっている旧教陣営との違いを事あるごとに見せ、日本人、とりわけ家康たちに信用される事こそが自らの命を救う。そして帰国に繋がる...。長い長い浦賀道を歩きながら、彼は早くも頭をフル回転させて、今後の自身の身の置き所を考えていたのかもしれない。
日本に初めて足を踏み入れたイギリス人としてそんな風読みもあったとすれば、陸(おか)に上がっても彼は"航海長"であり続けたのだ。
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