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横須賀・三浦 コラム

公開日:2023.08.04

"海の隼"をあるく
〜按針が見たニッポン〜15 浦賀編(6)作・藤野浩章

  • うぐいす坂のふもと

 横須賀、上町、うぐいす坂。何だか長閑(のどか)な雰囲気を想像していたが、その名に似つかわしくない、ものすごい傾斜を持つ坂だった。

 道端の看板を見ると、この辺りはかつて鬱蒼(うっそう)とした樹木に覆われていて、ウグイスがよく鳴いていたのだという。横須賀は坂の多い土地だけれど、トップ3に入るくらい急で、狭くて、そして長い。うっかり物を落とそうものなら、高速で一直線に下界へ吸い込まれてしまいそうな傾斜だ。現代であればこんな所に道を通すことはないだろうが、後に森を切り開いて急坂の周りに家を造るくらい、横須賀の人口が急増していったということだろう。

 そんな事は知る由もない当時のアダムス一行は、ここを二百人の大行列で踏破したという。しかも大砲や弾薬など家康への大切な"お土産"を運搬して、である。さすがに彼が荷を引いたわけではないだろうが、荷役は難渋したに違いない。

 いやもしかしたら、難渋したのはアダムスら外国人の方だったかもしれない。地元民にとっては生活の道だが、何年も船で暮らし、命からがら異国へやって来て間もない連中には酷だ。次々に訪れる未知の苦難に対応するには、強靭(じん)な精神力か、または何事も柔軟に受け流す鈍感力か・・・持ち合わせていたのはどちらだったのだろう。

 そんな彼らをさらに試すような難所が、この先に待ち受けている。「十三(じゅうさん)峠」──この辺りで、後に深い関わりを持つことになる逸見(へみ)を初めて眺めることになる。来日してから約3か月後、アダムス36歳の夏のことだった。

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