横須賀・三浦 コラム
公開日:2023.09.15
"海の隼"をあるく
〜按針が見たニッポン〜21 宇都宮編(2)作・藤野浩章
「小山(おやま)評定(ひょうじょう)」は、日本史の転換点となるドラマだったと古来語られてきたが、そのほとんどは後世の脚色。後に家康の天下取りの過程を神話化するにあたって、この軍議が"伝説"になることが必要だったのだろう。
しかし、家康をはじめ諸将が小山に滞在していたことは事実であろう。7月25日に小山評定が行われ、翌26日には福島正則、池田輝政らの諸大名が西を目指し、大軍の目付け役として井伊直政(なおまさ)が派遣されるなど、慌ただしさが増す。
ところが、肝心な家康はすぐに西へ向かわなかった。ようやくの事で江戸へ戻ったのが8月5日なので、およそ10日の間、謎の停滞をしていたことになる。さらに言えば、その江戸から西へ出陣した日は9月1日だ。
猛スピードで回る渦に翻弄(ほんろう)されていくアダムスだったが、彼に下された指示は「西へ」ではなく「北へ」だった。小山に留まる家康本隊と別れることに彼は憮然(ぶぜん)とするが、通訳を兼ねる豪商、角倉了以(すみのくらりょうい)らとともに移動することになったのだ。
新たに着陣したのは、小山から直線距離で30キロ弱の宇都宮城。ここで、北に展開する上杉軍が南下するのを食い止め、その効果を見届けてから家康は江戸へ向かう、という算段だ。アダムスと大砲が家康のプランでいかに重要であったかが分かる。彼が持ち込んだ新兵器が世界を変えるかもしれないことを、家康は直感的に確信していたのだろうか。
この「空白の10日間」に、家康が宇都宮で大砲の効果を直に見た可能性もあるという。ひっそりと佇(たたず)むその証の場所を、見に行くことにする。
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