横須賀・三浦 コラム
公開日:2023.09.22
"海の隼"をあるく
〜按針が見たニッポン〜21 宇都宮編(2)作・藤野浩章
JR宇都宮駅から西へまっすぐ進むこと15分。小高い山の上に、立派な門が立っていた。
宇都宮二荒山(ふたあらやま)神社。訪れたのは夏祭りの真っ最中で、法被(はっぴ)姿の人や観光客でごった返していた。人混みをかき分けながら鳥居をくぐり、95段の石段を登り切ると、立派な社殿が見えた。この神社の縁起は古く、崇神(すじん)天皇が治めた3世紀頃まで遡(さかのぼ)るという。そのため各時代の有力者に崇敬され、平安時代の平将門(まさかど)の乱をはじめ、源氏の棟梁(とうりょう)が戦勝祈願をしたことでも知られる。
源頼朝もその1人。そうなると、「吾妻鏡(あずまかがみ)」を愛読するなど彼を敬愛していた家康が、小山(おやま)評定(ひょうじょう)の後の"謎の10日間"でここを訪れていた可能性が大いにあるのではないか。実際、関ケ原の戦いの後にはここに社殿を造営するなど、戦勝のお礼とも取れる動きを見せている。
小山から約30キロのこの場所を家康が訪れたという史料は存在しない。しかし、ここに「ウイリアム・アダムス」の存在を加えると、どうだろう。彼は家康の命で宇都宮へ移動して上杉軍と対峙(たいじ)することになったが、考えてみればこれはアダムスの「初陣(ういじん)」。実戦で彼の大砲がどんな動きを見せるのか、家康はその目で確かめたかったのではないか。
「遠く日光連山にまで砲声が谺(こだま)した。朝夕、宇都宮城からこれ見よがしに放たれる威嚇射撃である」(第三章)とある彼の初戦は、上杉の南下を阻止する効果を発揮する。
これを機に、家康とアダムスの関係が劇的に変化する。関ヶ原より宇都宮が、2人のターニングポイントだったのだ。
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