"海の隼"をあるく 〜按針が見たニッポン〜29 伏見編(1)作・藤野浩章
「・・・帰国も許されるのでしょうね」(第三章)
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関ヶ原の戦いの半月後、京都六条河原で石田三成らの処刑が行われ、アダムスは角倉(すみのくら)了以(りょうい)に誘われて見学することになる。そこには、憎悪に満ちてポルトガル語で祈りを捧げる宣教師ロドリゲスの姿があった。この戦いは、新教と旧教の一大決戦でもあったのだ。
やがて論功(ろんこう)行賞(こうしょう)が発表され、東軍の諸将が軒並み加増されていく。アダムスの存在を家康に知らせた長崎奉行・寺沢広高は出世を遂げるが、日本への漂着後最初に謁見した臼杵(うすき)城主・太田重正は領地没収。その中で、アダムスたちへの褒美はもちろん、故郷への帰国だったはずだ。ところが家康からの通達は、戦死したヘルツゾーンとアダムスらに大金を下賜(かし)するが、肝心な帰国は認めないというものだった。
「用向きは聞いておる。なぜか、と申すのであろう」。京都・伏見の鷹狩りの場に家康を訪ねた彼は、意外な理由を聞く。関ヶ原で霧の中、正確な砲撃の元になったジオメトリー(幾何(きか)学)をはじめ、航海術や天文学、数学、世界情勢など西洋の知識を教えてほしいというのだ。
「では、そうしたことをお教えしたら帰国を許して頂けるのですね」と譲歩すると、さらに意外な答えが返ってきた。なんと、浦賀に泊めてあったリーフデ号が大嵐で沈没してしまったという。「それでも帰国したいと申すなら、ポルトガル船に乗れるよう口を利いて仕わすが」──しかしその目は"それはなるまい"という固い決意を表していた。
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