横須賀・三浦 コラム
公開日:2024.01.05
"海の隼"をあるく
〜按針が見たニッポン〜34 伊東編(2)作・藤野浩章
按針と言えば、一緒にリーフデ号に乗っていたオランダ人、ヤン・ヨーステンも気になるところだ。日本への航海中もイギリス人の按針とは何かと対立していたというが、「八重洲(やえす)」の語源ともなった彼もまた屋敷を与えられ、2代将軍・秀忠の外交顧問となっていた。
しかし、彼は船を造ることができなかった。按針のように船大工から海軍、航海士へと叩き上げた人生とは全く違ったのである。加えて、航海士のプライドが邪魔したのか、自己本位の振る舞いが後に秀忠から距離を置かれる事になった、と本書では語られている。
その点、按針は日本という世界を受け入れながらも、決してそれに安住せず、自らの信条を貫き通した類(たぐい)まれな外国人と言えるだろう。それに、前述のような当時の日本にはまだ無かった多彩なスキルを持っていた。それが故(ゆえ)に家康とタッグを組んだこの頃、驚異的なスピードで次々と偉業を成し遂げていく。
「海、砂浜、川、山、職人」がすべて揃った伊東の地で、日本の技術の高さに驚き、現地の船大工たちを束ね、ついに80トンの船が完成した。なぜ川が必要かと言えば、河口の砂浜に作った窪みの中で造船を進めるため。進水時は川から水を引き、川下へ水路を作って海へと至るというのだ。
今まで日本には無かった南蛮船のような船。これを現地の船大工らと共に完成まで持って行くのは、按針にしかできない事だったに違いない。
こうして完成した船につけられたのは「海隼(かいしゅん)丸」。海の隼(はやぶさ)が、自らの技と努力で世界への扉を開いたのだ。
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