横須賀・三浦 コラム
公開日:2024.01.19
"海の隼"をあるく
〜按針が見たニッポン〜36 伊東編(4)作・藤野浩章
「伊豆の国伊東と言う浜辺の」「堀の中に舟を置き」「河水を舟の有る堀へ流し入れ、水の力を持って、海中へ押し出す」──これが、三浦浄心(じょうしん)が『慶長見聞(けんもん)集』で著(あらわ)した、按針の船造りの貴重な記録だ。見聞集は、当時の世相や風俗が記されたもの。彼は日本橋伊勢町に住み、按針の"ご近所さん"だった。
この浄心、元は後(ご)北条氏に仕えた「三浦十人衆」の出口氏、つまり三浦水軍の流れを組んでいて、秀吉の小田原攻めの時には小田原城に籠っていたという。本当に按針と出合っていたならば、かつての敵方との不思議な縁ということになる。
後に三浦での帰農を経て江戸へ出た浄心は、浦賀と三崎、江戸を結ぶ廻船(かいせん)に関わり、連歌(れんが)を嗜み、著作も多く、今で言えば人気作家で実業家という感じか。だからこそ、突然近所に現れた外国人に興味津々だったことは想像に難(かた)くない。彼の旺盛な好奇心のおかげで、按針の功績が現代に残されたとも言えるのだ。
本書では冒頭と最後に登場するほか、随所で按針の語り部として重要な役割を担っている。
とりわけ、按針が知行(ちぎょう)地を得て初めて逸見(へみ)を訪れる際にも同行し、代官の長谷川長綱(ながつな)、船手頭(ふなてがしら)の向井忠勝と会っているが、三浦氏と海の仕事を熟知する浄心が付いていることは、按針も心強かっただろう。逸見村での対面でも「紅毛(こうもう)人などとは思わず、少々毛色の変った日本人と考えるがよろしかろう。三浦按針とは三浦安心(・・)。違いますかな」と領民に語りかける。
そしてこの時同行した1人が、ゆき。按針の日本の妻であった。
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