"海の隼"をあるく 〜按針が見たニッポン〜41 平戸編(2)作・藤野浩章
浦賀を世界貿易の拠点に、と考えていた家康と按針を出し抜いて、まんまとオランダ商館、後にイギリス商館の誘致に成功した平戸藩。領主の松浦(まつら)鎮信(しげのぶ)は"海賊の首領(ドン)"として、巨額の利益を上げることになった。
按針はオランダ商館の顧問として平戸に滞在するが、商館に同居するのではなく、一線を画すために崎方(さきがた)と呼ばれる丘にある平戸藩の役人・木下弥次右衛門(やじえもん)宅の離れを根城にする。ここは後に按針終焉(しゅうえん)の地となるが、現在は正確な位置が分かっていないという。丘の上からは対岸にある平戸城がほぼ同じ高さに見え、眼下にはオランダ商館がある。ほんの数百メートルの範囲の中で、幕府、松浦氏、オランダ、イギリスの思惑が混ざり合い、その渦中に按針がいたのだ。
そんな時、あろう事かノバ・イスパニア(スペイン領メキシコ)の船が房総に漂着。同国が持つ最新の金銀鉱山技術に興味を示す家康を見て、旧教国の進出を食い止めたい按針は板挟みになる。幕府を背負いつつも、一人の"世界人"として義を通そうとする按針の苦悩は、読んでいてハラハラしてしまう。
そしてもう一つ。西国大名が所有する五百石積み以上の大船をすべて没収し、今後も建造を禁ずる命令が突如として幕府から発せられる。これで平戸藩の貿易は打撃を受けるが、この時、朱印状を得て貿易を行っていた船は七十五家、のべ百六十九隻あったという。
取りも直さず、これは幕府の貿易独占に加え、西国大名の力を削ぐことが目的だった。そう、家康最後の大仕事が迫っていたのだ。
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