"海の隼"をあるく 〜按針が見たニッポン〜46 伏見編(3)作・藤野浩章
「トクガワとの出会いは、前世からの宿命であったかもしれない...」(第十章)
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日本へやって来てから十五年。その日々を、本書で按針は「戦(いくさ)をしに日本へやって来たような気がする」と振り返る。しかし一方で、もし戦が無かったとしたら、家康の厚い信頼を得られただろうか、とも。ましてや二百五十石の領地を与えられ、重要な地位を手に入れることはできなかっただろう。加えて、最初に出会ったのが豊臣方だったら、命すら無かったかもしれない。すると、戦のない世の中で自分は「用済み」ということなのか?──按針の心の内は穏やかではなかっただろう。
そんな時、彼は戦勝祝いと帰国の報告を兼ねて伏見城へ向かう。持参した琉球芋に喜ぶ家康と"水入らず"の対面だ。
「読めたぞ、読めたぞ、(中略)わしという後盾(うしろだて)が亡きあと、己れがどのように扱われるか気に病んでいるのであろうが」──異国から日本へたどり着き、選択の余地なく家康に仕え、帰国を諦めて仕えて来た自分は、この後いったいどうなるのか?という疑問を、按針は率直にぶつけている。
これに対し、家康は「わしには彼らの身の振り方まで慮(おもんぱかって)ってやる義理はない」、としながらも「とくに案ずることはない」と按針を思いやる。このやりとりが実に面白いが、按針が英蘭から独立した貿易を申し出ると、家康は大いに賛成する。彼は、ついに独り立ちを決意するのだ。
これが、家康と按針の最後の会話となった。家康公、74歳の秋のことである。
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