"海の隼"をあるく 〜按針が見たニッポン〜49 平戸編(7)作・藤野浩章
「不運は一人ではやってこない、とはよく言ったものだ」(第十一章)
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「落日」という副題が付いているこの章では按針の最期の日々が綴られているが、落馬、松浦(まつら)氏の画策、船の乗組員の裏切り、そしてイギリス国王親書の失態など、問題が次々に降りかかって来る。
しかし、按針は希望を捨てていない。決して諦めず、困難に果敢に立ち向かっていくのだ。作者の大島は、何よりそんなポジティブな姿をテーマにしたかったのではと思う。
冒頭はシェークスピア作「ハムレット」のセリフだが、これには「群れをなしてやってくる」という続きがある。文字通りさまざまな困難が群れをなして襲ってくるが、按針は"ならば精一杯抗(あらが)ってみよう"という気持ちになったのではないか。長い航海をしていれば凪(なぎ)の日も嵐の日もある。それを受け入れ、最善のルートを選択するのが「航海長」の仕事。そういう意味で、按針は最後までその名の通り"水先案内人"であり続けたのだろう。
大島はあとがきで「ただし、当時の航海が所詮(しょせん)は風まかせ、潮まかせであったと同様、彼もまた結局はそうした世の潮流に抗せなかったのではないか」と記している。幕府は彼を反逆者とはまったく思っていない。そして按針も日本を離れる気はない。──そんな"相思相愛"が根底に続く中で、幕府は国内政治の安定を選択したのだった。
1620年5月26日。平戸・崎方(さきがた)の丘で、按針は息を引き取った。波乱に満ちた57年の生涯だった。
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