OGURIをあるく 〜小栗上野介をめぐる旅〜第33回 横須賀編【4】文・写真 藤野浩章
「同感じゃ。やはり、交際の深いオランダであろうな」(第四章)
◇
小野友五郎(ともごろう)の「江都(こうと)海防真論」の存在は、小栗をどれだけ励ましたか分からない。これをベースにして理想の造船所づくりに邁(まい)進することができるうえに、すでに幕府に建議されているということだから、内容を現実的な形にしていけば幕閣の理解も進みやすいだろう。小栗はもちろん、誰もが造船所の必要性は良く理解していたが、どう進めればいいか?はまったく分からなかったのだ。
その点、勝海舟(かつかいしゅう)は自前でなく外国に頼む方が現実的だ、という。しかし小栗は"夢を現実にする方法"を徹底して考える道を選んだ。内乱に加え、幕府の形すら変わりかねないこの状況下で、即効性の無い、いわば「未来のタネ」に向かって幕府の総力をかけようとは、その時誰も考えていなかっただろう。
ちなみに「江都海防真論」の第一部は造船所についてだが、第二部では海上砲台の必要性が詳細に記されている。これは現実になり、例えば今も東京湾に浮かぶ「第二海堡(かいほう)」は小野の案がベースになった。
さて、造船所をつくるにあたり、その技術指導をどこに頼むか。本命はアメリカだったが、ちょうどこの頃、同国では「南北戦争」が始まり、他国の世話を焼いている場合ではなかった。残りはイギリスが有力だったが「日本を未開の弱者とあなどり、全ての面で傲慢(ごうまん)、狡猾(こうかつ)な態度を見せる」というのが二人の一致した考えで、冒頭のセリフに至る。
そんな時、小栗邸を一人の男が訪ねて来る。若き頃からの盟友、栗本瀬兵衛(せへえ)(鋤雲(じょうん))である。
![]() |
|
|
|
|
|
|