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横須賀・三浦 教育

公開日:2025.08.29

”夢の超特急”起源に特攻兵器
三木忠直の思い伝える紙芝居

  • 紙芝居を上演する棚沢さん(右)と絵を担当している矢部さん

 1964年の東海道新幹線開業に伴いデビューし”夢の超特急”とも呼ばれた0系新幹線。これの開発プロジェクトをけん引した技術者・三木忠直(1909─2005)は戦時中、横須賀市浦郷町にあった「海軍航空技術廠」で、抗えない命令の中、陸上爆撃機「銀河」や特攻兵器「桜花」の開発に携わった。平和と戦争、その両方に深く関わった稀有な技術者・三木の抱えていた葛藤や平和への思いを伝える紙芝居が8月23日、横須賀市本町の市民活動サポートセンターで行われた。三木の次女で逗子市在住の棚沢直子さんと親戚の矢部雅子さんが上演し、子どもから大人まで約50人が鑑賞した。

 1929年、三木が20歳の時、ドイツの飛行船「グラーフ・ツェッペリン号」が世界一周を果たした新聞記事を見かけたのをきっかけに”空飛ぶモノ”に興味を惹かれるように。海軍省に入省後は30代前半という若さで、技術者として国の重責を一身に背負った。しかし悪化の一途をたどる戦局の中で、「人間爆弾」と呼ばれた桜花の設計を命ぜられてしまう。

 一度発射されると、搭乗者は生きては帰れない。桜花は母機から発射されると敵艦めがけて滑空し、体当たりを行う。高速飛行を叶えるため機体は徹底的に無駄を省き、軽量化され、後に0系新幹線のボディにも採用された丸みを帯びた流線形が特徴的だった。そんな桜花は沖縄戦などに投入され55人の若者が命を落とした。

 戦後、三木は戦争加担への自責の念に駆られ、兵器転用がされにくい鉄道の道へ進んだ。運輸省の技術研究所へ入所すると、メンバー25人を率いる車両構造研究室の室長として国家プロジェクトをけん引。培った技術を活用し、粉骨砕身”夢の超特急”誕生に身を投じた。

新しいことに挑戦を

 紙芝居では、小田急ロマンスカーや湘南モノレールなどにも携わった三木の事績を紹介。「三木は飛行機の技術を戦後は鉄道に応用した。みなさんも何にでも興味を持つ好奇心と新たなことに挑戦する心を持って」と棚沢さんは呼び掛け、「戦争に二度と参加しないということを考える機会にしてほしい」と願いを込めた。

 紙芝居を鑑賞した高校3年生の女子生徒は「普段当たり前のように使っている乗り物の起源が、特攻機がきっかけの一つだったと知り、関心が高まった」と話した。

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