横須賀・三浦 コラム
公開日:2026.03.06
三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜
第34回 文・写真 藤野浩章
「筋は良いのですが、詰めが甘い」
◇
砲術や造船、異国事情などを桂小五郎に教える一方、2人は剣でも相まみえた。三郎助は"天然(てんねん)理心(りしん)流及び北辰一刀(ほくしんいっとう)流"目録(師範代レベル)の腕前。しかし"神道無念(しんとうむねん)流"練兵館の師範代である桂に言わせれば、冒頭のセリフになるのだとか。当時三郎助は33歳。桂とは11歳ほどの差だったが、歳の差を超えた深い繋がりとなったようだ。
さて、前年の嘉永7(1854)年11月4日、駿河湾付近を震源とする安政東海地震が発生。この32時間後には四国沖で安政南海地震が起きる。いわゆる南海トラフ大地震だ。さらに翌年10月には、江戸直下で安政江戸地震が発災する。日本は、開国の混乱と自然災害の直撃で、まさに内憂外患の極みだったのだ。
この中で、安政東海地震をまともに食らったのは日本国民だけではなかった。すでに本紙元旦号で紹介したが、ペリーの条約締結成功に刺激され、プチャーチンを責任者とするロシア船「ディアナ号」が下田に来航して交渉に当たっていたところ、大津波が押し寄せて大破。その後修理のために戸田(へだ)へ曳航する途中で沈没してしまうという事件が起こり、五百名近いロシア人が取り残されてしまった。ロシアは当時、ヨーロッパでイギリス、フランスなどを相手にクリミア戦争をしていたことから、処理の仕方によっては飛び火する可能性もあった。
こうして図らずも戸田で洋式船「ヘダ号」を建造することになり、三郎助の話を聞いて後に桂も現地を訪れている。そこには、伊豆代官・江川英(ひで)龍(たつ)がいた。
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