横須賀・三浦 社会
公開日:2025.11.14
広場で食べたおにぎり 帰国を実感
満蒙開拓団員の樋口さん講演
横須賀市富士見町在住の樋口達さん(93)が11月7日、満蒙開拓団員として体験した終戦前後の壮絶な日々を語った。元ゼロ戦パイロットの生涯を描いたドキュメンタリー映画『原田要 平和への祈り』横須賀上映会の関連企画。会場の市文化会館に集まった聴衆が熱心に耳を傾けた。
長野県諏訪郡富士見村出身の樋口さんは1940年、8歳で家族と共に満州へ渡った。しかし45年、高等科2年生の夏に日本の「無条件降伏」を知らされる。「神国日本は必ず勝つ」と信じていただけに、現実を受け入れられなかったという。
ソ連兵の侵入や略奪に怯える日々が始まった。女性たちは天井裏に隠れて難を逃れたが、樋口さんは「今でも本当に悲しい出来事」として、避難の「足手まといになる」という理由で、生まれてきたばかりの赤ちゃんが開拓団の団長らの手で殺されたという、痛ましい事実を明かした。食料が尽き、匪賊(ひぞく)の襲撃が続く中、団は全滅の危機に瀕した。樋口さんの兄を含む3人が命がけで八路軍(はちろぐん)(中国共産党軍)に助けを求め、日本人に友好的な中国人の仲介もあって団員は救出された。「この人物のおかげで富士見の開拓団は犠牲者が最小限で済んだ」と樋口さん。戦後に中国を訪れて墓参した際の写真を示しながら感謝を述べた。
46年、引き揚げ命令が出た後も苦難は続いた。汽車でたどり着いた吉林(きつりん)という街では、鉄橋が爆破されて足止めとなり、飢えと雨の中で多くの幼い子どもたちが次々と命を落とした。
同年10月、広島県の大竹港に上陸し、故郷の長野県富士見駅に到着。村の人々が出迎える中、広場で振る舞われたおにぎりを食べた。「腹いっぱい食べたあの美味しさは今も忘れることができない」としみじみ語った。
「東京大空襲や広島、沖縄の戦禍は盛んに語られるが、満州での悲惨な体験が取り上げられることはほとんどない」と樋口さん。「私たちの団の犠牲が少なかったのは、団長が地元(中国人)の人たちと仲良くしていたから」と述べ、人種や国境を越えた対話の重要性と平和への強い思いを力いっぱい述べた。
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