三浦版 掲載号:2012年2月10日号
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三浦の散歩道 みうら観光ボランティアガイド協会

最福寺への石段
最福寺への石段

 バス停「三崎港」のロータリーの辺りはかつて海南海岸と呼ばれていました。明治十年(一八七七)、横須賀警察署三崎分署として長井から、この地に移ろうとしましたが、上橋(あげはし)の円照寺の境内となり、明治十六年(一八八三)に此の地へと移転し、ガラス窓の二階庁舎が新築されたと『三崎町史』にあります。さらに次のようにも記しています。「その頃夜になるとむじながその下で鳴くという清太郎橋が、海南から脇の町へ行く道に架けてあり、その前に警察署が建った。」とのことです。

 その後、明治四十四年(一九一一)に入舟へ移り、昭和五十年代に現在地の六合に移転しています。

 「三崎公園」と呼ばれていた頃、ここから「横浜駅」行きの急行バスも懐しいものになっています。

 このロータリーから海を眺め、右の方へ眼を向けると「うらり」の看板が目に入ります。「うらり」とは「海を楽しむ里」の「海(うみ)」「楽(らく)」、「里(り)」の頭文字を並べての表記と言われて、「海」を「魚」に言い換えることもあるとのことです。三崎の産直センターです。

 そこに「魚市場」があったのは昭和四年から平成五年までの間でした。最初の魚市場は海南町に大正十一年(一九二二)設けられましたが、翌十二年の震災で土地が隆起したり、建物が壊れたり、さらには各地の遠洋漁船の入港もあり、現在の「うらり」の地へ昭和四年に移転。初めは四五〇坪(一四八五平方メートル)であったが、昭和四十三年六月に鉄筋コンクリートの市場となり、平成に入って産直センターに衣替えしたのです。昭和四十二年には一六八億円の水揚げがあり日本一を誇ったこともありました。魚市場と簡単に言ってしまいますが、正式には「三浦市三崎水産物地方卸売市場」と言うのです。

 足は「うらり」へは向かわずに、東岡の方へと歩きます。先き頃、テレビドラマに登場した「佐久間書店」の手前を左に入る道を見ると長い石段の道が見えます。「最福寺」への石段です。数えてみると七十八段です。

 「最福寺」は、泰平山と号す、浄土真宗の古刹です。元は鎌倉材木座にあった寺で、室町期の天文元年(一五三二)に、三崎西の浜に移って、海岸山西福寺となりましたが、江戸期の元禄十年(一六九五)に三遷の地として現在の所へと移ってきたのです。そこは向井将監政綱の屋敷跡でした。『新編相模国風土記稿』に「此地向井兵庫頭政綱屋鋪跡にて船玉八幡の社地なり、彼社は政綱に預けられし泰平丸の船玉を祀れるなり、故に当時此所に移りし時泰平山と改むと云ふ」とあります。

 境内にある、石製の流しには表側の鶴と共に裏側に、「海岸山」の文字と元禄五年の年号が読みとれます。        つづく

 ※第9回の文中、「海南神社」の「本営」とあるのは、正しくは「本宮」です。訂正をしておきます。
 

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