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三浦版 公開:2012年6月22日 エリアトップへ

三浦の散歩道 <第19回> みうら観光ボランティアガイド協会

公開:2012年6月22日

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田中に在る妙悟尼の墓
田中に在る妙悟尼の墓

 北条湾に流れ込む「狭塚川」を渡って、向ヶ崎へと向かいました。

 『新編相模風土記稿』には向ヶ崎の名称について、次のように記しています。「三崎分村の一なり」として、「三崎町北條入江の対岸出崎なるが故(ゆえ)村名起る」とあります。

 川を渡って、信号の手前花屋さんを左に入るとすぐ参道があり、当地の鎮守さま「諏訪神社」の鳥居が見えます。

 『三崎町史』の中に海南神社が郷社となった明治六年に、向ヶ崎諏訪社が村社となったという文章の註記に、「郷土の神社」として、諏訪社について、祭神は「資盈家臣二郎為雪」とあり、創建を天元五(九八二)年十二月として、由来は次のようにあります。「貞観四(八六二)年十一月一日主君資盈ト共ニ当地ニ着岸死後人民之レヲ崇メテ氏神トナス」とあり、例祭を「三月十四日」とし、氏子百十五戸としています。『三浦古尋録』では、「信州上ノ諏訪ヲ勧請スト云」とあります。とするならば、祭神は建御名方(たけみなかた)神と八坂刀売神(やさかとめのかみ)の夫婦神ということになります。建御名方神は大国主(おおくにぬし)神と高志(こし)(越)の沼河姫(ぬなかわひめ)との間にできた御子(みこ)神です。始めは農耕にかかわる神としての信仰や狩猟の神の信仰もありますが、三浦では海にかかわる神としての信仰で、ミナカタは「水潟」であると言わるところです。三浦市内には上宮田の諏訪神社、三戸の諏訪神社といずれも海に向いて祀られています。

 ここの諏訪神社は静かで清楚な雰囲気をもつ、権現造りの社殿で、家紋は「三つ柏」で、拝殿の屋根瓦はみるべきものがあります。現在、祭礼は三年に一度ということで、昨年に開催されています。

 参拝後、交差点に戻り、ばんば坂を上がり、台向ヶ崎へと向かいましょう。しばらく行くと右側に小じんまりした神社がありました。「山王日枝神社」です。右の鳥居に明治十年の銘が入っています。お宮の手前の坂を下って行きますと、現在では「晴海町」となっていますが、かつて宮川村の分であった「田中」に行きつきました。

 この地に「大椿寺」の開其とされる妙悟尼の墓があります。『新編相模風土記稿』に次のような文があります。「法名大椿寺法円妙悟尼、寛喜二年(鎌倉期の一二三〇年)正月廿五日逝去す、宮川村に墓あり、寺記に妙悟尼は頼朝の室なりと云ふ、頼朝の夫人は政子にて事実卒年等も符合せず、こは全く鎌倉の侍女にて、後剃髪し此地に住せしならん」とあります。

 なお、墓地には五輪塔と共に無縫塔が一基あり、そこに「續焔塔」の文字が刻まれています。

 参拝して、丘上のお稲荷さんへと向かいました。幅広い石段を上がって行きますと、青銅板に被われた鳥居に「桜稲荷大明神」と書かれた額があります。朱塗りの鳥居を通り抜け、お参りをして、次に「城ヶ島大橋」へと向かったのですが、田中から橋へ至る階段がなんと、七十七段もあるのには驚きました。  

         つづく
 

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