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三浦の散歩道 〈第75回〉 みうら観光ボランティアガイド協会

文化

掲載号:2015年1月16日号

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境内墓地にある地蔵尊像
境内墓地にある地蔵尊像

 路線バスの通る県道26号は「主要地方道横須賀三浦線」と呼称されています。その道路の「城ケ島入口」の信号近くに「六合交番」があります。「六合」とは明治8年(1875)に、向ヶ崎・二町谷・東岡・中の町岡・原・宮川の各村が合併して「六合村」が誕生したのです。その後「三浦市」となった後「三崎町六合」の地番が生まれています。ただ、交番の所在地は「三崎町諸磯」なのです。

 交番の前を「東岡」方面に向かったところに、創業が江戸時代の文化5年(1808)という菓子店「原万堂」があります。店の真向かいに「真浄院」という地蔵堂があります。宝暦6年(1756)に書かれた地誌「三崎志」に次のように記されています。

「真定院 禅宗 本尊石躰地蔵菩薩 弘法大師作 俗首切地蔵ト云 開祖不詳或云三浦平太夫再興ト 琰魔堂 本尊作不知」とあります。お堂の入口横に平成6年に建てた三浦市の説明板に「原の身代り地蔵」とあって、次のように書かれています。全文を紹介します。

 「当時は真浄院と呼び、三崎の鎮守海南神社の分離以前の寺で海汐寺といった。本尊は地蔵菩薩であります。この地蔵尊にまつわるこんな話が伝えられております。

 その昔、北条早雲の軍勢に攻められること3年、いまや兵糧も底をつき、刃折れ矢尽きた新井城の三浦道寸義同(よしあつ)は、永正(えいしょう)15年(1516)7月11日、城兵一同自刃するか、城門を開いて最後の決戦を交えるかで衆議を重ねましたが結果は決戦と決まり、その由を三崎城を守備する将、出口茂忠に伝えるべく伝令を出しました。伝令を命ぜられたのが原の川島吉隆の家臣川島身七で、海を泳ぎ渡り、木影を選んで敵兵の目をかすめ、苦労のすえ任務を果たしましたが、城に帰る道すがら油壺の海を染めた血潮を見て、戦が終わったことを知りました。

 一方、北条勢は一部の兵を新井城に残すと、三浦の残兵を進めました。三浦の残兵をとらえながら三崎城に兵を進めました。身七は山中を這うようにして追手の目を逃れ、この地蔵堂の下に隠れていたが運悪く発見され、たちまち首を切り落とされてしまいました。

 ところが、追手の兵が切ったのは身七の首ではなく、地蔵尊の首でありました。これは、床下で身七が地蔵菩薩を念じていたので、いつか菩薩が身替りになってくれたのでした。

 その後、慈悲溢れる地蔵尊の徳を慕い、身七はこの地蔵堂で剃髪して地蔵坊身七と名のり、新井城に散った道寸以下の人々の霊を慰めて一生を送ったと伝えられています」と、以上のようにあります。

 この地蔵堂の周囲は墓地になっています、中には大きな石造の地蔵尊像もあり、道路に面した側には4基の「庚申塔」があり、大きな石塔には「相州三浦之郡原村」と記されています。お堂入口の左側には、手向花のある「六地蔵」が印象的です。
 

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