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三浦版 公開:2015年9月25日 エリアトップへ

三浦の散歩道 〈第91回〉 みうら観光ボランティアガイド協会

公開:2015年9月25日

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道の傍に咲く「ツルボ」の群生
道の傍に咲く「ツルボ」の群生

 油壷湾について、「此湾は深く屈曲し奥に入れば出口を忘るる如く、四囲尽(ことごと)く懸崖にして樹木蓊鬱(おううつ)昼尚(な)ほ暗し、水面風を受くること無ければ水平滑にして油に似たり」と明治二十七年(1894)に書かれた小説『桜の御所』の作者村井弦斎が三崎滞在中に記した見聞記の一節にあり、「油壷の名由て起る所以(ゆえん)なり」ともあります。なるほど外海とは異なる海面かとも思われるのです。

 その雰囲気をもって、小網代湾に至りました。最近ニュースにもなった処を抜けて、「白髭神社」の前を通って谷戸の道へと進むと「宮ノ前峠入口」の標識を目にしました。さては、「小網代の森」に入ることになったのです。三戸への道は他にないのでしょうか。かつて、明治十六年(1883)三月に「小網代三戸間に渡船が始まったと、『三崎町史』上巻に記されています。同じ『三崎町史』に、明治三十年(1897)一月に川上眉山が三崎へやって来たことを『ふところ日記』として記し、報知新聞に連載したことが書かれています。その中に、下宮田の黒崎辺りの民家に泊した後ち、「起伏したる通(みち)を行く事少時(しばし)、(中略)村を出でて畠に入り、畠を出でて小山に入る。」とあり、そこで、「藻屑を籠に盛りて背に負へる少女(おとめ)に遇(あ)ふこと数次(しばし)…」とあって、「漸くにして渡津(わたし)に出づ。(略)三戸の浜を後に入江を横切りて、対岸近く小網代に着く。」と記されており、恐らく、三戸の「入道込」辺りから小網代湾への船路ではなかったのであろうか。

 筆子は渡船のない現在、小網代湾を河口干潟へと回り、「小網代の森」に至ったのです。標高一、六メートルの「えのきテラス」を経て、北西方向へと足を向けました。目的の「北尾根入口」まで四二〇メートルとあります。途中「アカテガニ広場」を左に見ながら急な斜面を登って行きます。道は階段状になっていて登りやすくなっています。途中、神秘を想わせる笹に覆われたトンネル状の道があったりします。

 畑の中の道を過ぎると舗装された農道と思われる処へと出ます。三叉路で右へ進むと「引橋」方面へ続いています。筆子は直進します。犬を散歩させている人にも出会いました。道の傍らに、ピンク色した穂のような花が見られました。花の名も不明でしたが、黒崎辺りの植物保護に力を入れている友人に尋ねたところ「ツルボ」という花名がわかりました。図鑑には、「荒地や畑のふちにはえる多年草」とあります。

 そういえば道の向うは畑で、道とのへだたりに群生しているのです。

 道は、やがて、少し上りになって、左手に広々とした農地が見えて来ました。(つづく)
 

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