三浦の散歩道 〈第95回〉 みうら観光ボランティアガイド協会
光照寺入口の門柱は新しく、本堂への参道も整備されてきれいになっています。新しくなったのは平成二六年十月のことです。柱の内側に「宗祖法然上人八百年大御忌記念」と記されています。まさにこの寺は「浄土宗」の寺なのです。
参道の石段を上がった左側に「光照寺のかめくり観音」の表題で、「三浦市」の説明板があります。その中に「この寺内には”かめくり観音”が祀られています。これはその昔、里人が田を耕していると、その田の中から可愛い手が出て来たので、不思議に思って掘り出したところ観音様でした。」と書かれています。
もう少しくわしい内容について、『三浦半島の民話と伝説』(菊池幸彦編著)の中には次のように記されています。
昔、たくさんの牛馬を飼っている長者がいて、その牛馬を野に放し飼いをしていたと言う。
「ある夜、長者の夢の中に尊者が現れて『日ごろ熱心に信仰しているので教えよう。朝早く野に行くならば尊像が近づくだろう』とのお告げがあった。長者はまだ下男たちが眠っている早朝に野に出たが、尊像が現れるようすはなかった。下男はいつもどおりに牛を引き出して野の杭に繋いで帰ってきた。ところがたしかに繋いでおいたはずの牛が帰って来た。長者は下男と一緒に野の杭を見に行った。すると杭の根もとが光っているように思われた。長者が杭を引き抜いてみると、穴の底には金色をした観音が座っていた。長者は、さては、と驚き身を清めて菩提寺へ持っていった。(略)
数日すると長者はまた夢のお告げを聞いた。『南の方向の寺に置いてほしい』との声であった。ところが南の方向の寺は貧しくて再興できないほどに荒れていた。(略)するとまた長者の夢に『相模湾の魚をとって寄付を集めなさい』との知らせがあった。長者は村人たちと相談して相模湾に網を入れた。すると不思議にもたくさんのイナダが網に入った。夢の知らせのとおりに堂が建てかえられて金色観音像は祀られ、村人はこの観音を『イナダ観音』と呼んだ。」とあります。
だが、寺の説明板では、田圃(たんぼ)の中から出現であるから「稲田(いなだ)」の文字を宛てています。のちに、観音堂の雨もりを心配した人達が宝珠に「水がめ」を被(かぶ)せたので、「かめくり観音」の呼び名が付いたと言われています。
なお、本堂へ向かう参道の右手に大きな樹があります。椎(しい)の木の一種で、「スダジイ」と呼ばれる樹齢五百年以上にもなる大木で、幹の周囲は五メートル、高さは八メートルもある立派なものです。三浦市の保護樹木にもなっています。
他に、特殊な字形で「南無阿弥陀仏」と刻された、徳本上人の石塔も拝することができます。
(つづく)
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