神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS
三浦版 公開:2016年8月26日 エリアトップへ

三浦の散歩道 〈第113回〉 みうら観光ボランティアガイド協会

公開:2016年8月26日

  • LINE
  • hatena
妙音寺原の西方「向畑」にある庚申塔群
妙音寺原の西方「向畑」にある庚申塔群

 「宮田貞明館址碑」を拝して、「小松ヶ池」へと向かう道を少し歩くと、道の左手に一つの谷戸が見られます。その谷戸の右側は人があまり出入りしないためか、雑草に覆われた藪になっています。その山裾に寺があったというのです。

 『新編相模風土記稿』(天保十二(1842)年完成)の中に「浦谷山・龍山寺とあり、普化禅宗で、本尊不動」と記され、開基は道仙で俗名を大井由左衛門と書かれています。「普化禅宗」とは「普化(ふげ)宗」とも呼ばれ、虚無僧(こむそう)として諸国を遍歴して修業した宗派でありますが、明治四年に廃宗となっています。その寺がここにあったのではないかと言われています。

 道を「岩神」地区へと向かい、「小松ヶ池」の上方の道を「京急線」へ至る手前、「安楽寺」に至る狭(せま)い道の脇に四基の「庚申塔」があります。そのうちの笠付きの「庚申塔」の上部に雲の上に乗った桃の実が彫られています。専門家の言では「桃の霊力は除災除魔に霊験あるものとして、神聖視され、農家では増産、福守の神として各地に信仰されている。」としています。狭い道ですが、かつては多くの人が通った道でもあったのでしょう。

 京急線を跨(また)ぐ陸橋を越えて、「内込」の方へと歩を進めます。国道に至るまでは広い畑地です。往古、「妙音寺」(現在は下宮田一一九番地に所在)が、この辺りに在(あ)ったと言われています。『新編相模風土記稿』に「古の寺地は妙音寺原と称す。」とあります。

 その原の西方、「向畑」と呼ばれる所に「山王さま」と呼ばれる塚があり、そこに十二基の「庚申塔」が正面の二基を囲むような形で在ります。特に、正面左側の「板碑型」は風化がひどく、判読はむずかしいのですが、鈴木喜代司氏の著『初声村の庚申塔』によると、明暦四(1658)年のもので、「光明真言?」の種子付きであると記されています。写真でご覧の如く、現在、「妙音寺」さまの「護符」が貼ってありました。 

 この辺りから北西の方の眺めは、すばらしいものです。

 西方の林の中に入ると、「稲荷社」でしょうか、赤い鳥居と小さな社がありました。今は不能ですが、下へと降りると、「妙音寺」の末寺「円乗寺」が在るはずです。

 そこで、「半次」への道をとり、途中、右へ降る石段の道を下って、まっすぐに進みますと、住宅の間にお堂へと登る石段が見えました。「飯森の地蔵様」と呼ばれる「円乗寺」へと至りました。石段は三十三段。その入口の右側に、元禄八(1695)年と明記された「六十六部供養塔」があり、上部に三仏の梵字が刻まれています。左側は明和七(1770)年と記された墓石がありました。残念ながら無住のため、地蔵堂の入口は施錠されていたので、堂の前面で手を合わせて帰参しました。(つづく)
 

三浦版のコラム最新6

第54回 桜餅の葉「オオシマザクラ」 

三浦半島 草花歳時記

第54回 桜餅の葉「オオシマザクラ」 

文・写真 金子昇

3月29日

100まで元気!健康ワンポイントアドバイス

連載

100まで元気!健康ワンポイントアドバイス

三浦市社会福祉協議会 長 惠

3月15日

第53回 「ハコベ」と春の七草

三浦半島 草花歳時記

第53回 「ハコベ」と春の七草

文・写真 金子昇

3月1日

100まで元気!健康ワンポイントアドバイス

連載

100まで元気!健康ワンポイントアドバイス

三浦市社会福祉協議会 安東茂樹

2月16日

第52回 ふるさとの樹木「スダジイ」

三浦半島 草花歳時記

第52回 ふるさとの樹木「スダジイ」

文・写真 金子昇

2月2日

100まで元気!健康ワンポイントアドバイス

連載

100まで元気!健康ワンポイントアドバイス

三浦市社会福祉協議会 田村純

1月19日

意見広告・議会報告政治の村

あっとほーむデスク

  • 3月29日0:00更新

  • 3月15日0:00更新

  • 3月1日0:00更新

三浦版のあっとほーむデスク一覧へ

コラム一覧へ

三浦版のコラム一覧へ

バックナンバー最新号:2024年3月29日号

もっと見る

閉じる

お問い合わせ

外部リンク

Twitter

Facebook