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三浦版 公開:2016年11月4日 エリアトップへ

三浦の散歩道 〈第118回〉 みうら観光ボランティアガイド協会

公開:2016年11月4日

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日範上人が苦行した「妙法経窟」
日範上人が苦行した「妙法経窟」

 矢作の「神明社」の鳥居の前を過ぎて西へ進むと、日蓮宗の寺で、「近浦山 円徳寺」に至ります。

 寺の入口に「当山縁起」と表題した石文(いしぶみ)があります。それには、「当山開山大善阿闍梨(あじゃり)(註 梵語の音写で、徳がすぐれ、人の師となることのできる僧のことで、ここでは「大善」が付加されているのでより高い僧なのでしょう。)日範上人ハ生退ヲ詳ニセズ、真言宗ノ徒タリ、後松葉ヶ谷ニ於イテ宗祖日蓮聖人ノ徒弟日朗ニ遇イ法理ヲ討論シ、遂ニ改宗受戒ス 正応三庚寅(1290)年六月当和田村ニ来リ海岸ノ石窟ニ入リ、日蓮聖人配流ノ伊東ヲ遠望追想シ誦経説法大イニ衆ヲ化ス。永仁二甲午(1294)年一宇ヲ創立シ、称シテ近浦山圓徳寺ト云フ。元禄年間(1688〜1703)海水氾濫ノタメ堂宇悉ク流失ノ什物等随テ消失ス。(註 元禄十六(1703)年に南関東一帯を襲った大地震により三浦地方は甚大な被害があり、津波の高さは8mと推定されています。)ソノ後享保元(1716)年十九世日要堂宇ヲ再建シ、漸次補繕ヲ加工タルモ、大正十二(1923)年九月一日震災ノタメ本堂倒壊ス。三十五世日開昭和三(1928)年六月工を起シ、同六年竣工今日ニ至ル。因ニ開山日範上人誦経説法ノ妙法経窟ハ依然寺傍ニ現存ス。 当山卅七世 錬精誌ス」

 原文に註や西暦年を混入させましたことをお詫び申し上げます。

 日範上人が日蓮聖人の配流されている地に向かって誦経されたと記されていまます。この「伊豆法難」は弘長元(1261)年五月十二日、聖人四十歳の時に発生したもので、「立正安国論」の内容に気分を害した幕府の権力者たちによってなされたのです。

 鎌倉を船出後、夜の暗いなか伊東川奈の海上にある、まな板状の岩の上に置きざりにされたのですが、地元の船頭によって救われるという奇跡があって、伊東の地頭職の家で三年間流罪僧の身として過ごされたと言われています。

 日範上人が入ったと言われる「妙法経窟」について『三浦郡誌』に次のように書かれています。

 「円徳寺の傍に在り。西の崎の崎頭にして蒼海を隔て雲烟の間、伊豆半島を望む。正応二年日範、南下浦より此処に移り、此洞窟に籠居し、遙かに祖師の苦楚を偲びつつ、題目を高唱し、里人に教法を布きたりという、日範は本村の円徳寺、延寿寺(黒崎)、三崎町大乗寺を建立したる人、同宗の九老僧の一人なりという。付近の景色甚だよし。」と書かれています。ここで言う「本村」は「初声村」のことです。 

 現在、洞窟の入口にある門柱に「円徳寺御開山日範上人」と「三ヶ年海水修行之霊跡」と記されています。

(つづく)
 

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