三浦の散歩道 〈第132回〉 みうら観光ボランティアガイド協会
「三浦海岸駅」前から武山・一騎塚方面へむかう「県道武・上宮田線」を走行している京急バスの最も駅寄りが「池代(いけしろ)」で、次が「仲尾(なかお)」です。その停留所から武方面に二〇〇メートル程進んだ所、「旭小学校」方面への道と交差する角(かど)に八基の「庚申塔」と左側の端(はし)に「馬頭観世音」と大書された石塔が一基見られます。
注目すべきは、この「馬頭観世音」の石塔です。『仏尊の事典』(関根俊)によりますと本来「観世音」とは、世間の人々の救いを求める声(音)を観じると、ただちに救済の手を差し伸べるという意味だと聞いています。また、浄土教の中では、往生者が阿弥陀如来に導かれて、西方極楽浄土へ来迎するときには往生者の魂を蓮台に乗せて運ぶ役を担(にな)うというのです。ただ、「聖(正)観音以外を変化観音と称して、「如意輪(にょいりん)」とか「千手(せんじゅ)」などがあり、「六観音」と呼ばれ、「馬頭」もそのひとつなのです。本来は、人身馬頭の姿なのです。近世になって、民間信仰と結びつき、馬を守る仏として、農耕や交通・運送用の馬の安全を願って、路傍の石仏として祀られるようになったということです。
ここ、「仲尾」でも、「交通安全」を願ってのことなのでしょう。石塔の正面に「馬頭観世音」の文字と共に「従是(これより)東、浦賀道」と記され、右側面には「従是 横須賀道」とあり、さらに小さく「是より丑寅武山道」と刻されています。「丑寅」とは「北東」の方向を示しています。さらに左側面に「従是南 三崎道」とあります。台座には「初声村、高円坊中」とあって、発起人として、「鈴木・加藤・川名・金崎」等の氏名が刻まれています。これらの人名は前回に示した「朝盛塚」に明記されていた、朝盛の従士の方々の子孫に当たる人々なのでしょう。ここでも、多くの人々へ貢献していることになります。
さらに県道を武山方面に進んで行きますと、かつて、道幅いっぱいに「藤棚」があって、季節によっては見事な景色で、バス停の名前も「藤棚」と呼んでいた記憶があるのですが、現在は「一騎塚」方面のバス停を囲むような形の「藤棚」だけになってしまい、停留所の名称も「高円坊」になっています。その近くに「説明板」があって、次のように記されています。
「この藤は、ペリー浦賀来航 嘉永6年(1853年)の頃に当地に植えられてから三代目のものとなります。以前は、道路を跨(また)いで藤棚があり、毎年見事な花房が垂れ咲くことから、この周辺地区を「藤棚」と呼び、地域の名所として親しまれています。」とあります。
さらに、この県道を進みますと、「庚申堂」というバス停に至ります。しかし、現在ではお堂はなく、「庚申塔」が八基と「馬頭観音」が三基と「手印」を組んでいるように見える「石仏」が一基、道路脇に見られるばかりです。
(つづく)
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