三浦の散歩道〈第136回/完〉 みうら観光ボランティアガイド協会
『新編相模風土記稿』(江戸期の天保十二(1841)年完成)によりますと、かつては、和田村の中、「高円坊」と号する寺があって、その寺の辺(あた)りの地を分村させて「高円坊村(加宇恵無波宇牟良)」としたようです。正保(1644年〜47年)の頃には、すでに村名が見られたと言うことです。
その『新編相模風土記稿』の中に、村の鎮守として、「山王社」、「太神宮」、「稲荷社」の三つの社(やしろ)を挙げています。「山王社」につきましては、すでに、第130回目の『散歩道』の中で「日枝神社」を「山王社」と呼ばれる旨を記していますように、村社として祀られています。「稲荷社」については、同じく「日枝神社」の相殿として「宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)」が祀られています。「ウカノミタマ」とは「稲魂(イナダマ)」(穀霊(こくれい))そのものの名で、「稲荷神社」として祀られているのです。さらにもう一社、「大神宮」は何処に祀られているのでしょうか。
『三浦郡神社由緒記』にも記載されていないのです。そこで、探してみました。「農協高円坊支店」の近くに、「高円坊区会館」があり、その裏手の坂を登って行くと、やがて左側に土手を掘削したところに古びた石段が幅、人がひとり通れるほどで五十段程続いています。両側は木々におおわれ、うす暗く神秘的な雰囲気の中を上がって行きますと、古びた入母屋づくりで、亜鉛葺の社殿がありました。地図上で見ますと、「三峰神社」とあります。五十段の石段を上がった先きに、さらに十段の石段があり、その上の境内の右側に手洗い鉢が一つあるのみで、辺り一帯は落ち葉のみです。本殿の中は暗くてよく見えませんでした。
この社について、浜田勘太氏著の『初声の歴史探訪記』の中で、手洗い鉢の右横に「甚三良」と文字があり、それ以外何も見ることができないと書かれておられます。さらに、この「三峰神社」の所を「西の宮」といわれていたと記され、古老の話によれば、「東の宮が日枝神社で、西の宮は太神宮ということになるであろう。」と記述されておられます。
三峰とは埼玉県秩父市の西を流れる荒川を遡ると大瀧村三峰に至ります。そこにある三山、雲取(くもとり)・白石・妙法の峰を指すもので、戦国時代に修験の道場として栄え、火防の神としても信仰されていたようです。「三峰神社」の祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美(なみ)命・大山祗(おおやまつみの)命です。また、その神の使いが「狼」とされているところから、田畑を荒らされぬようにと農家の信仰するところとなったのでしょう。
長い間、お読み頂いて有りがとうございました。三浦の地で探訪するところはまだまだ、あると思いますが、この回をもって終了とさせて頂きます。読者の皆様のご健勝をお祈りして、筆を下ろしたいと存じます。
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