三浦版 掲載号:2017年10月20日号 エリアトップへ

連載 第2回「引橋の辺り」 三浦の咄(はなし)いろいろ みうら観光ボランティアガイド 田中健介

掲載号:2017年10月20日号

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現在の引橋付近
現在の引橋付近

 かつての「三崎町」の出入口であった所が「引橋」です。東方に「金田」地区、北方は「下宮田」地区に接する地です。「引橋は三浦一族新井城の要害の地で、敵が攻めて来たとき、この谷に架けてある橋を引くことで、敵の侵入を防いだ場所であるところから、「引橋」の名が生まれたと言われています。「京急バス」の停留所名では「ひきばし」としています。

 ここの深い谷で区切られた狭い道が「三崎」に通じていました。その道端に一軒の茶屋があったというのです。北原白秋の歌に「引橋の茶屋のほとりをいそぐときほとほと秋は過ぎぬと思ひき」があります。

 『三浦繁昌記』(明治41年刊)に、「浦賀まで四里四丁毎日二回馬車の便あり、賃四十二銭、人力車一円四十銭。」とあり、当時の人々は浦賀街道(現在の三浦海岸を経て長沢方面に向かう道程)を主に利用して、三時間の行程であったということです。

 「三崎」から約一里(4キロメートル)の「引橋」の辺は四季の装いも美しく、すぐの谷間である「小網代の森」も含めて、春の藤、夏の緑に、秋の紅葉。東側は竹藪の緑が映えています。「山峡に橋を架けむとかがやくは行基菩薩か金色光に」と白秋は詠んでいます。また、釈迢空(折口信夫)は白秋の歌に感じるところがあって、何度か三崎を訪れています。「森の二時間」という作品は大正五年頃のものですが、引橋の谷の風景を次のように詠んでいます。「森ふかく 入り坐(ゐ)てさびし。汽笛鳴る湊の村に さかれる心 この森の一方に はなしごゑすなり。しばらく聴けば 女夫 草刈る この森のなかに 誰やら寝て居ると はなし声して、四・五人とほる 此(こ)は、一人 童坐(ゐ)にけり ゆくりなく 森のうま睡(い)ゆさめしわが目に」と、あります。ゆっくりと寝ころぶことができる程、静かな谷間だったのでしょう。現在では自動車の往来がはげしく「ゆくりなく」午睡もなりません。

 白秋にかかわる人の中に斉藤茂吉という歌人もいます。大正三年に妻と共に三浦の地へ来たおりの作があります。

 「まるくふくれし煙草(たばこ)ばたけの向う道馬車は小さく隠ろひにけり」・「ほくほくとけふも三崎へのぼり馬粟畑(あわはた)こえていななきにけり」

 当時、長井から初声の村を経て、引橋に至る道があり、馬車に揺られて、初声を通った時の歌なのでしょう。江戸期から昭和二十年頃にかけて、「煙草(たばこ)」は初声の特産物として栽培されていたと言われています。

 この時の歌に次のようにあります。「一列に女(おみな)かがまりあかあかと煙草葉を翻(か)へす昼のなぎさに」があり、当時の農作業のさまが眼に浮かぶようです。

(つづく)
 

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