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連載 第5回「『三戸』と言うところ その2」 三浦の咄(はなし)いろいろ みうら観光ボランティアガイド 田中健介

掲載号:2017年12月1日号

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大根畑の中に見られる塚の1つか?
大根畑の中に見られる塚の1つか?

 「三戸」と言う地名について、『三浦市立初声中学校・創立30周年記念誌』の中で、「昔、内田太郎、庄司次郎、海戸五郎と称する豪士ありて村内を分領していたのでこの名があると、(三浦郡誌)」と「初声の地名考」の項に記されています。

 この「三人の豪士」については、「つつじ公園」と呼ばれる塚山を「三戸友澄墓所」と言われ、五輪塔と共に大正十年(1921)に初声村名勝保存会によって建てられた「三戸友澄招魂碑」が、「子爵三浦基次」の書と刻字されてあります。

 友澄は承久三年(122)、朝廷と鎌倉幕府との間に起こった争乱「承久の乱」のとき、「兄平九郎胤義の密書に接し、内田、庄司、海戸の三士を従えて上洛し、胤義と共に皇軍に属して戦死。三士は友澄の首級を携えて郷里に帰って葬った。」と言うことで、碑には「その忠魂をしのび、呼び叫んだ」と書かれています。

 国道一三四号線の「三戸入口」の信号から「赤坂遺跡」の場を通って浜へ向かう道を「御用邸道路」と呼ばれています。昭和四年(1929)、昭和天皇は趣味の生物研究の基地として、御用邸を希望され五四・四五ヘクタール、地主百八十人、当時の金額で九十万円で話がまとまったのですが、財政状況の悪化で工事が延期され、その後の戦争などで立ち消えになってしまい、現在では御用邸建設のための道路と名称のみが残っているだけです。 

 「三戸」の鎮守で、祭神「建御名方命(たけみなかたのみこと)」を祀る「諏訪神社」の近くに、「新潮社」の保養所があります。作家の新田次郎氏は、この保養所にこもって『八甲田山死の彷徨』を書き上げたと言われています。

 その新田さんが、昭和四十七年(1972)に書いた、少年向けの作品『つぶやき岩の秘密』(新潮少年文庫)は「三戸」を舞台にしたもので、この地を「大塚村」という想定で、「塚が崎」という名称の荒磯を次のように書いています。

 「塚が崎は三浦半島の台地から相模湾に向かってぐんと腕をつき出したように延びていた。台地の続きはほぼ平坦な地形でいちめん大根畑になっていた。大根畑を塚が崎の先端に向かってどこまでも歩いて行くと断崖に行き当たる。」とあって、大塚村の小学校に通う六年生の紫郎が主人公として描かれています。さらに、青屋根の別荘に白い髯(ひげ)の老人が住んでいる旨が書かれています。これは、対岸の小網代にある「白髭神社」を想定したものでしょうか。ただ、こちらの「髭」は「口ひげ」の意で、「髯」の方は「ほおひげ」を指すものです。

 「塚が崎」の先端は断崖に突き当たるとも書かれ、「大根畑と防風林との間に塚が三つある。」とも記されています。「昔、この地に住んでいた長者一族の墓だと言われていた。大塚村や塚が崎の呼称が出たのはこの古墳があったからであろう。」とも記されています。

(つづく)
 

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