三浦版 掲載号:2018年7月20日号
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連載 第20回「松輪(剱崎)灯台のこと」 三浦の咄(はなし)いろいろ みうら観光ボランティアガイド 田中健介

剱崎灯台
剱崎灯台

 前回に記した若山牧水の『岬の端』の中に、次のような文があります。

 「松輪への路を訊(き)くと、芋畑の中に爺さんが伸び上がって、その電信柱について行きさえすれば間違ひはないと教えてくれる。なるほどこの丘の背を通して電信柱が列ってゐる。そしてその先が小さくなってゐる。

 やがて柱の行列の尽きる所に来た。なるほど、この電線はこの岬端にある剱崎燈臺(とうだい)(土地では松輪の燈台と呼んでいる)に懸かっているものであったのだ。燈臺は今はただ白々厳めしい沈黙を守って日に輝いているのみである。そして付近に人家らしいものも見えぬ。あちこちと見廻していると、すぐ眼下の崖下にそれらしい一端が見えて居る。私は勇んで坂を降りて行った。咽喉(のど)も渇(かわ)き、腹も空(す)いていた。降りて行って驚いた事には其処(そこ)は戸数五十近くの古い宿場じみた漁村であった。」と書かれています。

 この「宿場じみた漁村」について、「松輪」に住んでおられる高梨健児氏は「此処は大畠の海岸」と註釈されています。

 牧水は「前に小さな浅そうな入江があって、山陰の事でぴったりと静まっている。」とも書いています。

 高梨氏は『三崎を巡る歌』(若山牧水)として『岬より夕日に向かいうすうすと青いろの灯をあぐる燈臺』の和歌をあげています。

 また、「剱崎」の名を有名にした作品があります。それは、昭和四十(1965)年、「新潮」に発表され、その年、芥川賞の候補にもなった。立原正秋の『剣(つるぎ)ヶ崎(さき)』があります。その一部を記してみます。

 「剣ヶ崎、神奈川県の東南、三浦半島の突端にある岬角で、対岸の千葉県の州の崎と相対して東京湾の入口に位置し、岬の頂上には灯台がある。ここは土地の人から、つるぎがさき、と呼ばれず、けんさきと呼ばれている。

 久里浜の街で次郎は菊の花を求め、一時間に一本しか出ない剣ヶ崎行きのバスに乗った。野比の峠を越し北下浦を過ぎる頃には、前方左側の海に長く突きでた剣ヶ崎が見えた。十七年前の夏、志津子の遺骸を捜して、漁船で海にでたとき、海から眺めた剣ヶ崎の白い断崖に、十八歳の彼は、自分の死を垣間みた気がしたが、いま剣ヶ崎は、八月末の陽ざしに霞んで渝(かわ)らぬ姿を横たえていた。(中略)やがてバスは終点についた。彼はバスから降りると石(つわ)蕗(ぶき)の群生している切り通しの坂道をおりた。右は深く切りこんだ谷間で、谷間に沿って海に突きでた岬に灯台が建っている。」(後略)

 この「剱崎灯台は、日本で七番目の洋式灯台として初点灯は明治四(1871)年という歴史ある灯台なのです。

(つづく)

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