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連載 第38回「海南神社境内のこと」 三浦の咄(はなし)いろいろ みうら観光ボランティアガイド 田中健介

掲載号:2019年4月19日号

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境内山側にある六浄の句碑
境内山側にある六浄の句碑

 「海南神社」の石の鳥居は、江戸時代の明和九(1772)年に建てられたものです。ただ、この年に江戸で大火があって多くの人が亡くなって、「めいわく」だと言うことで、安心が永く続くようにと、11月に「安永」と年号が変わっています。

 その鳥居を過ぎると、池があります。「手洗池」と言われています。そのことを、『俳諧三崎志』に、「寛永十七(1640)年、三代将軍家光が安宅(あたか)丸と言う船で、江戸へ入るとき、風波が酷かったので、当、海南宮に祈願し、無事に着くことができたのです。そこで、安宅丸の船頭であった、向井将監忠勝は祠前に池をつくり、橋を架けたのです。その欄干の擬宝珠(ぎぼしゅ)に、年月と姓名を彫(ほ)った。」と言うのです。

 『新編相模風土記稿』では、「神橋」として、「擬宝珠の銘に、相州三浦郡三崎郷、海南宮神前橋」とあって、「向井左近将監忠勝、身宮安泰、寿命遠大」と記されています。ただ、文の後に、「身宮」とは按(あん)(かんがえる)に「宮」の字は誤りであろう。と、記されています。恐らく、ご自身と神宮の安泰を願ったのでしょう。現在、擬宝珠は十個ありますが、手前にあった二個が、向井氏の奉納したもので、重要美術品として保管されているそうです。

 神橋を渡って、右側山寄りに「福徳稲荷社」が祀られています。その左側に「海中(うみなか)によしのの花や桜鯛」という、小さな句碑があります。「一仏庵六浄」の句です。六浄は中村姓、天保時代(1830年〜43年)の俳人です。

 さらに、左隣りには松尾芭蕉の句碑もあります。「松杉を誉(ほめ)てや風のかをる音」と記されています。

 三崎は江戸時代から俳諧の盛んな町であったのでしょう。海南神社の境内には、他にも、その姿が見られます。拝殿にむかう階段の下、右側の石灯籠は「延享二丑(1745年)六月鶯丘舎草也寄附す」と『三崎志』にあり、次のような句が刻まれています。

 「海よりの朝日や恵む若葉陰(かげ)」「夏山や幣にすかす夕月夜 草也」 この句の前に「海南の海は…」で始まる文もありますが、石灯籠についても、次号にゆずります。

(つづく)

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