三浦版 掲載号:2019年5月31日号 エリアトップへ

連載 第40回「海南神社のこと【4】」 三浦の咄(はなし)いろいろ みうら観光ボランティアガイド 田中健介

掲載号:2019年5月31日号

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台座の上に「新肴場」の文字が、後ろに山角氏の灯籠も
台座の上に「新肴場」の文字が、後ろに山角氏の灯籠も

 前回に記しました、木村伝右門奉納の石灯籠の隣に、延宝三(1675)年、寄進の石灯籠があります。当時、三崎奉行を勤めていた山(やま)角(かど)藤兵衛尉(じょう)勝平が寄進したものです。その石灯籠に「武軍長久」の文字も読みとれます。

 では、「三崎奉行所」は何時頃にあったのでしょうか。『目で見る三浦市史』の年表欄に、「慶安一(1648)年、三崎奉行所開設」とあります。その後、九代の奉行が就任し、元禄九(1696)年二月に奉行所は廃されています。石灯籠を寄進した山角氏は五代目の奉行で、寛文十一(1671)年十一月の就任、延宝三(1675)年九月、次の奉行と交代しています。

 「海南神社」の境内に寄進された石灯籠が幾つかありますが、その一つに、文政三(1820)年に建てられた「新肴場(しんさかなば)」と記された石灯籠が参道の両脇にあります。

 「新肴場(しんさかなば)」とは、旧市場に対して新しい魚市場のことです。

 旧市場について、『江戸名所図会』(角川文庫版)に、「日本橋から江戸橋にかけて北側の河岸で魚河岸(うおがし)があった。」とあり、「鎌倉を生きて出でけんはつがつを」芭蕉や、其角の句、「帆をかぶる鯛のさわぎや薫る風」をあげ、「遠浦の猟船押送(おしょく)りして此橋の下に入」との詞書も注釈されています。また、「魚市」と表記され「船町(ふなちょう)・小田原町・原町・安針町(あんじんちょう)等の間悉(ことごと)く鮮魚の肆(いちぐら)(市座の意)なり、遠近の浦々より海陸のけぢめもなく、鱗魚(りんぎょ)をここに運送して、日夜に市を立てて甚(はなは)だ賑(にぎは)へり」とも記されています。

 三浦市在住の筆名「三浦福助」さんの調べによりますと、江戸の町が発展していくにつれて、魚の需要も増していくうちに大きな騒動が起きました。ことの発端は、武州の本牧村(現在の横浜市内)の漁師たちが、江戸前の魚に対して、安い価格の上、一割六分の仲介料を取る市場に対抗し、相州三浦郡の村々に呼びかけて、新しい市場を開設するよう幕府に交渉した結果、評定所(ひょうじょしょ)の裁定が出て、日本橋の対岸、本材木町の名主等の資金援助もあって、武蔵(現在の東京都、埼玉県と神奈川県東部)や相模の国の村や地域が加わり、本材木町に新しい魚市場が、延宝二(1678)年に出来ました。日本橋の魚市場の「古場」に対して「新場」すなわち、「新肴場」が誕生したのです。

 神社内の石灯籠は、文政三(1820)年に建てられたもので、発足当時の苦労から抜け、ようやく軌(き)道に乗ったところで、お礼の意味で建てられたのでしょうか。この灯籠には、三浦を始め、多くの漁民の方々の苦労が込められているのです。ゆっくりと、立ち止まって当時のことを想いやってほしいものです。

           (つづく)

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