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連載 第44回「海南神社のこと【9】」 三浦の咄(はなし)いろいろ みうら観光ボランティアガイド 田中健介

掲載号:2019年8月9日号

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御霊神社(権五郎神社)
御霊神社(権五郎神社)

 神社の鳥居を入るとすぐの左右に、小さな祠(ほこら)があります。右側が、「御霊(ごりょう)神社」で、左側が「疱瘡(ほうそう)神社」です。

 右方の「御霊神社」は「権五郎神社」とも言われ、御祭神は「鎌倉権五郎景政」で、御神徳は「眼病平癒」や「必勝招来」とされています。

 平安後期の奥羽の豪族清原氏の乱を「後三年の役(えき)」と言われ、源義家は大軍をもって、内紛を起こした清原家衡(いえひら)を金沢柵に改めた折り、先陣秩父氏、二陣は三浦氏、三陣が鎌倉氏でした。前陣の軍は城に攻寄せて戦ったが、城中から射られる矢は雨降る如くで、家衡方の強弓の名手鳥海弥三郎という者が、相模国の住人鎌倉権五郎景政という若武者の右眼を斜めに射抜いて、兜(かぶと)の鉢付の右板に突き立ったのです。気丈な景政は矢を抜かず、敵の鳥海を追討ち、射落した後に、本陣に帰って、仰向けに寝たのです。これを見た三浦為継(ためつぐ)(三浦大介義明の祖父に当たる人)が両手で引き抜こうとしたが、たやすく抜けず、履物をはいたまま、景政の顔をふまえたところ、景政は咄嗟(とっさ)に太刀を抜いて、為継を突こうした。為継は驚いて後ろへ飛び、「矢を抜こうとするのに、どうして刀を使うのか」と問うと、景政は、「弓箭(きゅうせん)に当たりて死するは士(つわもの)の望むところなり。なれどいかでか生きながら、足にて面(つら)を踏まるるとは許さじ。汝を敵とし、われここに死なん」と言われたことで、為継は、無礼を謝し再び景政の眼に突き刺さった矢を、膝にて顔を押さえ、抜き取ったという。多くの人は、これを見聞きし、景政の高名は、ますます高まった。という話が『後三年合戦絵詞』や『奥州後三年記』などに記されているとのことです。

 このように、眼を射られても相手を倒しての強力さが、「眼病平癒」の源になっていると共に「必勝招来」につながっているのでしょう。

 一方、左側の「疱瘡(ほうそう)神社」の祭神は「源為朝(ためとも)」です。為朝は、平安末期の武将で、為義の八男で九州で育ったので、鎮西(ちんぜい)八郎為朝とも呼ばれた身体強大で剛気な性格の武将で、弓道にも長(た)けていたと言われており、「保元の乱」の折り、上皇方として奮戦したが敗れて、大島に流されたと言われています。その大島から、鎌倉の天照山を目掛けて矢を放ったところ、その矢が和賀江島近くに当たって水が湧いたという。そこが「矢の根井」または「六角の井」とも呼ばれています。

 この「矢の根井戸」は三浦市の剱崎にもあり、同じ話が残っています。その剛勇さが「疱瘡退散」や「ウイルス除去」になったのでしょう。

           (つづく)
 

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