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連載 第46回「歌舞島のこと」 三浦の咄(はなし)いろいろ みうら観光ボランティアガイド 田中健介

掲載号:2019年9月6日号

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「歌の町」の歌碑がある歌舞島公園
「歌の町」の歌碑がある歌舞島公園

 鎌倉時代、将軍頼朝を初(はじ)め代々の将軍が三崎の地を訪れています。『吾妻鏡(あづまかがみ)』(1180年〜1266年に至る鎌倉幕府の事績を記した史書)によりますと、頼朝48歳の建久五(1194)年の閏(うるう)八月一日に来崎。三浦義澄の接待で酒宴を催しています。この時、三崎の地について、「この所の眺望、白浪(しらなみ)を鋪(し)き、青山に倚(よ)る(寄る)。およそ地形の勝絶(しょうぜつ)(景色が非常によいことの意)、興遊の便(べん)(都合のよさ)を得るものか。」と記されています。その後、九月六日、翌年の正月二五日、八月二六日と、来崎されています。

 二代目の頼家の代には、建仁二(1202)年の五月十日に、三崎へ来ています。

 その後、承元四(1210)年には、三代の実朝十九歳の五月二一日、来崎の船中での管絃を楽しんだり、小笠懸(こがさがけ)などをご覧になっています。また、建暦二(1212)年の三月九日にも来崎。建保五(1217)年の九月には、海辺の月を眺めるために来られています。四代目の頼経が十二歳になった安貞三(1229)年二月二一日に来崎しています。

 この時のことを、江戸時代の天保十二(1841)年に書かれた『新編相模風土記稿』の「二町(ふたまち)谷(や)村」の項に、「歌舞島と云(いう)出崎(いでさき)あり、古走(いにしえそう)湯山(とうさん)の浄(じょう)蓮房(れんぼう)来迎の儀を此(この)島に設(もう)け、音楽歌舞の事あり、故(ゆえ)に此(こ)の名ありと云(いう)。」とあります。

 「来迎の儀」とは、二十五人の僧が宝冠をいただき、菩薩の面をつけ、香炉、天蓋(てんがい)(仏像などの上方にかざしたり、つったりする絹張りの笠)、幢幡(とうはん/仏教の儀式に用いる旗の一種)を奉じ、楽器を奏するなどして二十五菩薩に擬(ぎ)し、阿弥陀三尊を囲んで来往する劇的な光景を再現する行事を言うのだそうです。

 「来迎の儀」が行われた安貞三(1229)年二月廿一(にじゅういち)日について『吾妻鏡』には次のように記されています。

 「庚申(かのえさる)、彼岸の初日(旧暦)天晴れ風静かなり。三崎の海上において、来迎の儀あり、走湯山(伊豆の)浄蓮房、駿河前司(三浦義村)が請(こひ)(願い)によって、この儀を結構(仕度)せんがために、かねてこの所に参り儲(もう)け(準備し)十余艘(そう)の船を浮ぶ。(中略)荘厳の粧(よそおい)、夕陽の光に映じ、伎(ぎ)楽(がく)の音、晩浪(ばんろう)(夕刻の波)の響(ひびき)に添(そ)ふがごとくなり。」とあります。

 この話は、『北条九代記』にも、その状景が記されているとのことです。       (つづく)

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