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連載 第48回「見桃寺のこと【1】」 三浦の咄(はなし)いろいろ みうら観光ボランティアガイド 田中健介

掲載号:2019年10月4日号

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「紫陽山 見桃寺」の本堂入口の掲額
「紫陽山 見桃寺」の本堂入口の掲額

 「歌舞島公園」の地は「三浦市白石町」と呼ばれる地域です。江戸期には「二町谷(ふたまちや)村」と呼ばれた「三崎分村の一なり」(『新編相模風土記稿』)とあって、「家数百三十四」とも記されています。この地名はバス停留所のみ、残されています。

 この「白石町」に「見桃寺」という寺があります。紫陽山と号す、臨済宗京都妙心寺派に属し、本尊は釈迦牟尼仏です。寺の開山は駿河国(現静岡県)の清見寺の白室禅師です。開基は向井兵庫頭(かみ)政綱で、創建されたのは天正年(1573〜91)間と言われています。

 この地は「桃谷」と言われ、源頼朝公もしばしば訪れている所で、「桃の御所」と呼ばれる所でもあります。

 『三浦繁昌記』(明治四十一〈1908〉年、横須賀公正新聞社発刊)に、「桃の御所」としての紹介文に、「桜の御所、桃の御所、椿の御所を三浦三崎の三御所(ごしょ)と云ふ、何(いず)れも頼朝が四時(しいじ)(四季)の行楽を恣(ほしいま)まにせんがため、思ひを凝らして経営せしものである。其(そ)の桃の御所の遺蹟は見桃寺に在り、読んで字の如く、桃花の妖艶を以(もっ)て、頼朝の風懐(風流な心情)を惹(ひ)きし所」と書かれています。

 この「見桃寺」には、市の教育委員会指定の薬師如来像も祀られています。元は城ヶ島の薬師山と言われた寺の本尊で、平安時代の作と言われています。

 また、「三浦三十三観音札所巡り」の第二番目となる「聖観世音菩薩像」も祀られています。その御詠歌は、「はるばると 来たりて拝(おが)む観世音 就(つ)くか浄土へ 光りまします」とあります。

 この観音様に関係する話が、『三崎志』(天明二〈1782〉年刊行)の「仏刹」(仏閣の意)のうち、「照臨山能救寺(のうぐじ)」の項に、「禅宗、本尊正観音、三浦第二札所」とあって、「伝ヘテ曰(いわ)ク、寛永ノ頃(1624〜43年)此ノ地ニ、鈴木九左衛門、大井清左衛門、川端茂左衛門ト云フ者アリ。或ル時、三人海ニ出テ釣スルニ、一奇石ヲ釣得(え)タリ、捨テルコト三度ニシテ帰ル。ソノ夜、各(おのおの)霊夢ニ感ズ。夙(つと)(朝早く)ニ起キテ、前ノ所ニ至リ、釣スルニ、又、右ノ石ヲ得タリ。洗浄シテ見レバ、救世菩薩ノ像ナリ。即、負(お)ヒ帰リ、紫陽山白室禅師ニ奉ス。師ハ卽(そく)仏工(ぶっこう)ヲシテ新(あらた)ニ仏像ヲ作ラセ、石像ヲバ本尊トシテ崇敬ス。利益イチジルシ。是(ここ)ニ於(おい)テ、三人落髪シ、三帰戒ヲ受ケテ堂司トナリ、終(つい)ニ正念往生ヲ得シトカヤ」(後略)とあります。

 なお、読みと読点は筆子によるものです。

 その後、「能救寺」は廃寺となりました。

 現在の「見桃寺」は現代風のコンクリート造りになっています。山号と寺名が本堂の正面に掲げられています。  (つづく)
 

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