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連載 第67回「三浦古尋録その【6】」 三浦の咄(はなし)いろいろ みうら観光ボランティアガイド 田中健介

掲載号:2020年9月25日号

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森戸神社の「千貫松」
森戸神社の「千貫松」

 前回に引き続き『三浦古尋録』のうちに「三浦名五木(めいごぼく)」の表記があります。その「名五木」を尋ねてみようと思います。

 その「五木」とは「森戸千貫松・二町谷(ふたまちや)桃・向ヶ崎椿・城ヶ島棍柏(びゃくしん)・三崎山桜」の五つをあげています。

 初めに「森戸の千貫松」について、述べてみます。

 この松の木は葉山町の森戸海岸にある「森戸神社」の境内にあります。

 この神社は治承四(1180)年九月八日に頼朝公が豆州(伊豆)三嶋明神を此処(ここ)へ勧請したと伝えられています。『三浦郡神社由緒記』(昭和十年発行)によりますと、この社(やしろ)は三浦氏代々の祈願社で、葉山郷の総鎮守であったとされ、源頼朝が伊豆の蛭ヶ児島に流されていた時、三島明神に源家再興を祈願して志を得たことにより、この葉山の景勝地に三島神社の分霊を奉祀して、永く謝恩の誠を誓い、ここに勧請して「森戸神社」と名づけて祀ったと言われています。境内に「千貫松」以外にも頼朝公が腰を掛けて憩(いこ)うたと言われる「腰掛松」もあります。

 さて、「千貫」とは何を意味するのでしょう。江戸期の貨幣制度で、一貫は銭千文(もん)としており、明治期では十銭を一貫としています。「千貫」とは、それなりの価値があるのでしょう。

 『新編相模風土記稿』(天保十二年/1841年完成)には、「社の西海浜に突出たる岸上に在り、周囲二尺(約60cm)余り、松樹の形いと美にして其(そ)の価(あたい)千貫を似て募(つの)るべし故に名づく」とあります。

 次に、三浦市の「二町谷桃」について。現在の白石町は江戸期の後半期の頃は「二町谷(ふたまちや)村」と呼ばれていました。この地に「見桃寺」があります。大正初め頃には、北原白秋も居住していた所で、現在も白秋自筆の歌碑、「さびしさに秋成がふみ読みさして庭に出でたり白菊のはな」が寺の境内にあります。

 『古尋録』では、「向井家三崎知行(ちぎょう)ノ時ノ菩提寺ナルヨシ申ス、此ノ寺ノ桃五木ノ一也(なり)(中略)」と記されており、さらに「此処(ここ)ハ昔シ桃林有(あり)テ頼朝公御遊覧ノ地ト云」とも書かれています。

 『新編相模風土記稿』にも、「寺地往古(おうこ)(過ぎ去った昔)は桃林ありて鎌倉将軍しばしば遊覧あり」と記されています。その故(ゆえ)に「桃の御所(ごしょ)」と命名されたのです。

 「三浦の三御所」と称される処(ところ)に、「五木」のうち、「桃・椿・桜」の三木が登場します。

          (つづく)
 

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