プロスポーツの第一線で活躍する選手にも、いつかは「引退」の時が来る。Jリーグで活躍し、日本代表にも選出された葉山町在住の谷口博之さん(34)は、この春から出身地の横須賀市でサッカースクールを立ち上げる。これまでの選手人生とセカンドキャリアについて聞いた。
2004年、川崎フロンターレに入団し、プロサッカー選手のキャリアをスタートさせた谷口さん。どんなポジションでもプレーできる身体能力の高さと、献身的なプレーで日本代表にも選出された。
J1リーグ戦通算で350試合に出場。ここ数年は、怪我をした左ひざのリハビリを続けながら復帰を目指していたが昨年12月、サガン鳥栖を最後に、16年の選手生活に別れを告げた。
現役を退いた後に人生については「20歳くらいから、漠然とスクールをやろうと決めていた」と振り返る。
葉山の師匠
サッカーボールを蹴り始めたのは小学校1年生の頃。「きっかけは覚えていなくて、気付けば練習に没頭していた」というサッカー少年は、高学年になると「選手になる」と早々と目標を定めていた。
「その時の出会いが原点」と谷口さん。小学生の自分と真剣に向き合い話を聞いてくれた先生や、父のように指導してくれたコーチ。「信頼できる大人に出会えた。プロでの経験を通して、今のこの世代に”自分に自信をつけること”を教えたい」。新たに開くサッカースクールで5・6年生を対象にしているのは、そんな理由からだ。
”師匠”との出会いも背中を押した。フロンターレ時代に異業種のインターンで訪れたのは、元日本代表監督、二宮寛さんが営んでいる葉山町内のカフェ。そこで教えられたのは「人を大切にすること」だった。日本サッカー界の黎明期を支え、引退後はビジネスマンとして海外を飛び回った二宮さんの生き方に憧れ、インターン以降も親交を深めた。
スクール名の「PAPPA NINO(パッパニーニョ/お父さんと少年という意味)」は、二宮さんのカフェからもらったものだ。「サッカーの技術だけでなく、人として成長できる場にしたい」という思いを込めた。
地元へ「恩返し」
「地元でスクールを」という思いに賛同し、横須賀サッカー協会なども手助け。地元企業のウスイホーム(株)も支援に協力する。「大好きなサッカーを通して感謝の気持ちを伝えていきたい」
スクール経営者としてのセカンドキャリアは始まったばかり。名刺交換や資料作成など「慣れないことも多く、学びの日々。責任も感じているが、楽しみのほうが大きい。サッカーを通して、子どもたちが豊かな人生を送るきっかけを作ることができれば」と笑顔で語った。
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