逗子・葉山 教育
公開日:2025.11.07
葉山小が創立100周年
葉山町立葉山小学校(堀内/浜名恵美子校長)が創立100周年を迎え、10月31日、同校体育館で100周年記念式典が行われた。11月1日には児童を対象にした記念集会、同日午後には記念イベントが開かれ、在校生、保護者、卒業生、近隣住民らが思い思いに100周年を祝った。
記念式典は第22代校長でもある百周年実行委員会の河村英二委員長の「葉山小学校100歳の誕生日を祝う創立100周年記念式典を始めます」という開会の言葉でスタート。来賓代表で山梨崇仁町長が「葉山町が『住み続けたい街ランキング』で日本一に選ばれた」と話をすると児童らは「え〜っ」と大きな声を上げ、拍手が沸き起こった。次に現在の校歌を作詞した堀口大學の娘のすみれ子さんを始め、歴代校長、町内会会長ら来賓が紹介されると、上級生と接点のあった元校長の時には歓声が上がった。
浜名校長は式辞で、学校に対し多大な寄付を行った「味の素」の創業家、二代目鈴木三郎助氏、三代目三郎助氏の功績に触れ、児童に対し同社のように「葉山から世界に羽ばたいて欲しい」とエールを送った。また、現校歌の歌詞を引用し、「にこやかに、ほがらかに、元気に、ゆかいに、まじめに、たのしくといった歌詞は、葉山小学校の原点だ」と校歌を称えた。さらに、新調された校旗も披露した。
その後は式典の主役は児童に交代。5年1組の生徒は旧校歌についての考察を発表し、5・6年生により旧校歌が斉唱された。さらに運営委員会による劇『葉山ワンダーランドのアリス 校長先生を救え 100年の扉』を上演。児童らはハートの女王に捕らえられた校長を救うために、葉山小の歴史にまつわるクイズに答えるというストーリーを熱演した。
記念イベント
式典の翌日11月1日に行われたイベントではグラウンドにブースが出て、6年1組の児童が考えた100周年記念ステッカーを販売したり、PTAが100年の歴史の中の6年間という意味から『6/100』とタイトルを付けた記念写真集の受付を行ったりした。また児童が所属するミニバスケットボールチームやドッジボールチームも出店し場を盛り上げた。
教室では6年2組が「葉山小の過去と未来を繋ぐ文化祭」と題し、木造校舎模型の展示や、新しい学校づくりへの提案を行った。また、別の教室では「100周年CAFE」が開かれ、同校の歴史展示や前日の式典の様子が上映された。
体育館のステージではダンスやチアダンスが披露され、多くの観客でにぎわった。
体育館の前には三浦竹友の会の協力で作られた竹ランタンのオブジェが飾られ、夕闇に「100 HASHO」の文字が浮かび上がった。
児童による100周年
式典までには児童による100周年を迎える準備もいろいろ行われてきた。昨年11月には児童の発案によるキャッチフレーズ「100年繋いだ 葉山の景色 笑顔と共に 明るい未来へ」と、100の数字の0部分を双眼鏡に見立て、そこから覗く富士山と、葉山の海と山を描いたロゴマークを発表。のぼり旗や横断幕に使用され、100周年をPRしてきた。
また、記念事業として階段のアートペイントを実施。地元業者の協力を得て壁を塗り替え。校内で募集したデザインをもとにPTAが原画を作成し、全児童が参加して1階から3階までの壁面に富士山や海、山の動物などを色鮮やかに描いた。
メリーさん 平和伝える青い目の人形
校長室の一画に置かれたガラスケースに一体の古い人形がしまわれている。葉山小学校が開校した2年後の1927年3月4日に「メリーさん」はやってきた。
青い目をしたこの人形は、アメリカから日本各地の小学校に約1万2700体贈られた内の一体だ。当時、アメリカでは「排日移民法」が作られ、両国の関係性が悪化していた。日本に長く住んだことのあるアメリカ人宣教師のシドニー・ルイス・ギューリック氏は、子どもの頃からお互いの文化を理解することが、両国の友好につながると考え、「世界の平和は子どもから」をスローガンに日本のひな祭りに合わせ、人形の寄贈を全米に呼びかけた。この呼びかけに応え集められた人形は「友情人形」と呼ばれ、日本からはお礼として「市松人形」が58体贈られた。
しかし、41年の日米開戦で、青い目の人形は「敵性人形」として破棄されたり、空襲で燃えてしまい、全国で335体だけになった。神奈川県内は9体、三浦半島では「メリーさん」だけだ。
「メリーさん」は、おそらく「人形に罪はない」と考えた誰かが人目につかない場所に隠したことで破棄を免れた。長い間、姿を見せなかったが、78年5月、当時の教頭により教材室に新聞紙にくるんでしまってあったところを発見された。
「メリーさん」は戦争という悲惨な出来事を乗り越え、今の時代に平和の大切さを語りかける。
体育館は個人の寄贈 味の素創業家との縁
葉山小学校の歴史を語るうえで忘れてはならないのが味の素(株)の創業家、鈴木三郎助氏の存在だ。
二目代三郎助は1867年、堀内村で米や酒を扱う「瀧屋」の初代鈴木三郎助の長男・泰助として誕生。1926年、葉山尋常高等小学校設立時に「教育奨励金」5000円、27年に講堂建設費として3万円を寄付している。
三代目三郎助は1890年に長男として誕生。葉山小の前身、尋常第二葉山小学校を卒業し、東京の商業学校へ進学。味の素の発売当初から広告販売を担当し、同社を世界規模の会社へと成長させた。三代目も二代目の遺志を受け継ぎ、34年に1万円を寄付。この寄付金で理科特別教室が作られた。時を経て72年に再び4500万円の寄付をし、現在の体育館とプールが建設された。
また三代目は64年には東京オリンピックのために葉山工場の跡地に葉山マリーナを開業。敷地内には同氏の胸像が設置されている。
「楽しく」学んで歩んで 浜名恵美子校長
大正から4つの時代を駆け抜けてきた100年という歴史に重みを感じている。
子どもたちへの教育は、未来の葉山のまちづくりにつながっているという考えから、地域の方々に愛されてきた。特に鈴木三郎助様からの多大なご寄付で体育館など学びと遊びの場所を整えていただいたのは葉小にとっての財産だと思っている。
子どもたちには校歌にあるように「楽しく」学んで、自分の人生を豊かにするために歩んで、生きていく力を育んでいってもらいたい。
記憶に残る節目に 小熊直宏PTA会長
100周年の節目にPTA会長として学校と一緒に取り組めるのは運がよかった。この機会に、今後校舎が新しくなっていく中で、過去の生徒が作ったものなどを、どう残していくかを考えることが大切だと思う。
子どもたちには航空写真など学校が取り組んでくれたことを覚えておいて欲しい。100周年という大きなイベントを経験することで、大きくなって、中学生、高校生くらいになった時に、町おこしだとか、そういうものに興味を持って積極的に関わってくれたら嬉しいですね。
未来の葉小を考えて 河村英二実行委員長
葉山小には新採用から始まり、教頭、校長も務めて20年関わった。100周年実行委員会の委員長はその恩返し。
100年というと、歴史の振り返りで終わりがちだが、これからの葉山小のあり方を考えるいいチャンスだと思っている。歴史も大事だが、子どもたちには、これから「こんな風な学校にしたい」と未来を語ってほしい。そういう意味ではキャッチフレーズを作ったり、階段のペイントをしたりしたことは意義深かったと思う。
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