藤沢 ピックアップ(PR)
公開日:2025.08.22
連続テレビ小説『ばけばけ』で話題の小泉八雲が愛した藤沢「柄沢の鬼子母神・隆昌院」その歴史とゆかりの偉人たち
藤沢市柄沢の高台に佇み、「柄沢の鬼子母神」として古くから地域の人々の信仰を集める「日蓮宗 宗休庵 隆昌院」。安産や子育ての神様として知られるこの寺院には、その長い歴史の中で、時代を彩った文豪、篤信の漢方医と深く関わってきた。彼らがこの地に残した足跡を、住職のお話をもとに紐解く。
(1)文豪が愛した日本の心 ―小泉八雲―

『怪談』などで知られる明治の文豪、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が、その著作『日本瞥見記(にほんべっけんき)』の中で隆昌院について触れている。
八雲は1890年に来日後、この地を訪問した。同書では、当時の柄沢の自然豊かな風景や同寺の趣きなどを、「この炎天に、あんなところまで登って行くことがあるのかね?」「いや、大ありですよ」といった生の会話まで、いきいきと描写している。
彼が特に心を打たれたのは、本堂に奉納されていた無数の小さな着物だった。これらは、鬼子母神のご利益によって病が癒えた子どもたちの親が、感謝のしるしとして捧げたものだ。
八雲は「人類共通の普遍的な母性愛を、ゆくりなく(※)も目のあたりに見せつけられたようで、感動のほかはない」(平井呈一・訳)と書いている。「異国の神である鬼子母神(ハリティー)の物語が、八雲の母親への思いと共鳴したのでしょう」と住職。八雲の人となりを知ることができるエピソードとして語り継がれている。
※ゆくりなく=「不意に」
(2) 仏法を後世に伝えた篤信家 ―小川泰堂―

明治時代、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる中で、ひときわ強い信仰心を示したのが、藤沢の漢方医・小川泰堂である。泰堂は、自分の子どもが健やかに育つことを願い、隆昌院に寄進した。仏教への風当たりが強い時代、その行いは並大抵の覚悟ではなかったとされる。
泰堂の功績はそれだけにとどまらない。彼は、日蓮聖人の御遺文(ごいぶん)を書写し、後世に伝えるという大事業を成し遂げた。当時、火災で多くが失われていた御遺文を筆一本で書き写し、『高祖遺文録』30巻にまとめたことで、その教えは現代にまで伝わることになった。
望月住職は「手書きゆえの読み違いなどもあるが、原本が燃えてしまった後、その教えを知るための貴重な資料として非常に重宝された」とその功績を語る。一人の信徒としての純粋な信仰心が、文化的な遺産を未来へつなぐ大きな力となったことを示している。
時代も国籍も異なる二人の足跡は、同院が地域信仰の核であると同時に、文化的な交差点でもあったことを静かに物語っている。

タウンニュース記者が取材した隆昌院創建の由来はこちら→(https://www.townnews.co.jp/0601/2025/04/18/781686.html)。
隆昌院が運営する公園墓地風の杜「湘南庭苑」(https://ishinoya.co.jp/cemetery/shonanteien/)。隆昌院で開催される「テラヨガ」については(https://x.gd/rwNiD)へ。
宗教法人 隆昌院
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〒251-0003 神奈川県藤沢市柄沢1丁目7番地の1
TEL:0466-23-2492
FAX:0466-28-4865
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