鎌倉 社会
公開日:2012.10.05
求められる当事者意識
世界遺産登録を目前に
国の世界文化遺産の暫定リストに掲載されてから20年、「古都鎌倉」の世界遺産登録に向けた取り組みは大きな節目を迎えた。
この20年の歩みを振り返りたい。
日本がユネスコ世界遺産条約を締結した1992年、国がその対象として最初に掲げた暫定リストには、法隆寺地域の仏教建造物(奈良県)や姫路城(兵庫県)、古都京都の文化財などと並んで「古都鎌倉の寺院・寺社ほか」があった。
現在、同時期に暫定リストに並び、未だ世界遺産登録を果たしていないのは鎌倉と彦根城(滋賀県)だけ。
史跡が集中する鎌倉市では、96年に行政運営の方針を示す「総合計画」に世界遺産登録の推進を初めて盛り込んだ。
2000年、世界遺産登録の担当主査(係長相当)1人を文化財課(当時)に配置。01年には特命課として、「世界遺産登録推進担当」を設け、課長を含む3人体制に。04年には部相当に格上げし、05年ごろから人事を含め神奈川県との交流にも力を入れ始めた。
07年には、県と資産候補が存在する横浜・鎌倉・逗子の3市で推進委員会を設立、協力して推薦書作成などに取り組んできた。
平泉(岩手県)の「記載延期」が08年にあり(11年6月に登録)、推薦書の練り直しや国際専門家会議開催など業務が増加、10年には17人体制となっている。
登録推進が文化財保護に
世界遺産登録推進担当の大きな任務は、史跡の「保存管理計画」を作成することだった。この計画整備は登録の大前提であり、推薦書記載内容の根拠にもなる重要なもの。
00年から担当部署を充実化させていったということは、裏を返せば、それまで文化財の保存管理の体制が整っていなかったことを示している。
世界遺産登録を目指した動きは、文化財保護という観点からすれば、とても重要な意味がある。市同担当課長補佐は「文化財を保護する行政の体制や意識は格段に上がった」と話した。
石渡徳一前市長が尽力した景観法に基づく景観地区の指定(08年3月1日付)は、世界遺産登録推進においても前進となった。史跡が多数存在する鎌倉地域や北鎌倉の開発には高さ15m以下、原色は使用しないという規制がかかったのだ。
懸案となっていた「バッファゾーン(緩衝地帯)」に法的な網がかかるとともに、これは景観を守る「まちづくり」という側面からも大きな実績と言える。
一方、世界遺産登録に向けた市民の盛り上がりはどうだろうか。
理解を広げようと、市が音頭を取り06年に発足した「登録推進協議会」には、市内寺社をはじめ商工業者や自治町内会、市民団体、メディアなど100近い団体が参加、講演会をはじめ積極的に活動している。
しかし、大多数の市民は傍観者的な立場だ。洗練され多様性に富んだ街「鎌倉」の住民であれば、当然の反応かもしれない。
観光や交通問題改善するきっかけに
登録されれば年1900万人近い観光客は、さらに増加するだろう。登録可否は別にしても、交通混雑は明らかに問題だ。
後世に誇れる街にするためにも、市民がこれらの課題に当事者意識を持つしかない。世界遺産登録の取り組みが、「まちづくり」のきっかけになるならば、意味があると言える。
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