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コラムの記事一覧

  • 鎌倉と古代の道

    鎌倉のとっておき 〈第123回〉

    鎌倉と古代の道

     鎌倉は源頼朝によって幕府が開かれた後、中世都市として栄えたという印象が強い。しかし源頼朝が鎌倉に入る以前には、郡衙(郡家)が置かれ、鎌倉郡の中心といえる場所だ...(続きを読む)

    12月3日号

  • 鎌倉と御家人〜南部氏〜

    鎌倉のとっておき 〈第122回〉

    鎌倉と御家人〜南部氏〜

     源頼朝が鎌倉に本格的な武家政権を樹立すると、鎌倉には御家人達が集住し、やがて各地の所領と関係を深めていった。今回取り上げる南部氏も鎌倉に勤仕していた...(続きを読む)

    11月5日号

  • 鎌倉の中の鎌倉期文化〜鎌倉大仏〜

    鎌倉のとっておき 〈第121回〉

    鎌倉の中の鎌倉期文化〜鎌倉大仏〜

     鎌倉時代に幕府のあった鎌倉には、たくさんの歴史と文化が残っている。鎌倉時代に鋳造された「鎌倉大仏(国宝銅造阿弥陀如来坐像)」もその中の一つで、今に至...(続きを読む)

    10月29日号

  • 源頼朝の妻、政子のほかにも

    鎌倉のとっておき 〈第120回〉

    源頼朝の妻、政子のほかにも

     源頼朝の妻といえば、初代執権の北条時政の子で義時の姉、北条政子だが、実は、頼朝には政子との結婚以前にも妻とした女性がいた。それは、頼朝が配流された伊豆の豪族、...(続きを読む)

    10月8日号

  • すべての道は

    鎌倉のとっておき 〈第119回〉

    すべての道は"鎌倉"に通ず(足立氏)

     源頼朝亡き後、幕府の運営を合議して決めていた宿老13人の中に足立遠元(とおもと)がいた。  遠元は、頼朝の父、源義朝から実朝...(続きを読む)

    9月3日号

  • 鎌倉武士の鑑(かがみ)、畠山重忠

    鎌倉のとっておき 〈第118回〉

    鎌倉武士の鑑(かがみ)、畠山重忠

     源頼朝を支えた武士に畠山重忠がいた。重忠は、頼朝が平家打倒で挙兵した際には平家方だったが、頼朝が石橋山(小田原市)の戦いで敗れて安房へ逃れた後、巻き...(続きを読む)

    8月27日号

  • 鎌倉の音を訪ねて

    鎌倉のとっておき 〈第117回〉

    鎌倉の音を訪ねて

     鎌倉では、春は鶯(うぐいす)のさえずり、夏は蝉時雨(しぐれ)、そして日々時を告げる鐘など様々な音(声)が聞こえてくるが、ここに暮らした文人たちは、自...(続きを読む)

    8月20日号

  • 武士の魂、鎌倉に宿る

    鎌倉のとっておき 〈第116回〉

    武士の魂、鎌倉に宿る

     刀(剣)といえば、天皇家に伝わる「三種の神器(じんぎ)」の中の「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」がよく知られるが、「武士の魂」といわれた日本刀の名刀「正...(続きを読む)

    7月23日号

  • 鎌倉と御家人〜山内首藤氏〜

    鎌倉のとっておき 〈第115回〉

    鎌倉と御家人〜山内首藤氏〜

     源頼朝が鎌倉に本格的な武家政権を樹立すると、鎌倉には多くの御家人達が集まり、鎌倉幕府に奉公するようになっていった。  今回取...(続きを読む)

    7月16日号

  • 頼朝の幼なじみ、東奔西走する!(中原氏)

    鎌倉のとっておき 〈第114回〉

    頼朝の幼なじみ、東奔西走する!(中原氏)

     源頼朝亡き後、幕府の運営を合議して決めていた宿老13人の中に中原親(ちか)能(よし)がいた。  親能は、明法道(みょう...(続きを読む)

    7月2日号

  • 源頼朝とは兄弟だった?(八田氏)

    鎌倉のとっておき 〈第113回〉

    源頼朝とは兄弟だった?(八田氏)

     源頼朝亡き後、幕府の運営を合議して決めていた宿老13人の中に八田(はった)知家(ともいえ)がいた。  知家は、1156年朝廷...(続きを読む)

    6月25日号

  • 鎌倉と荘園〜山内荘(やまのうちのしょう)〜

    鎌倉のとっておき 〈第112回〉

    鎌倉と荘園〜山内荘(やまのうちのしょう)〜

     紫陽花が見頃を迎えた北鎌倉。かつてこの地は山内荘という荘園が広がっていた。山内荘は平安時代に立荘され、山内首藤氏という一族が管理していた。...(続きを読む)

    6月18日号

  • 早春に芽吹く紫陽花

    鎌倉のとっておき 〈第111回〉

    早春に芽吹く紫陽花

     鎌倉の6月と言えば、紫陽花の花です。北鎌倉駅近くの明月院、東慶寺など寺社の境内はもとより、鎌倉のここ彼処で育てられている紫陽花が6月になると一斉に花...(続きを読む)

    6月4日号

  • 頼朝挙兵の陰には?(三善氏)

    鎌倉のとっておき 〈第110回〉

    頼朝挙兵の陰には?(三善氏)

     源頼朝亡き後、幕府の運営を合議して決めていた宿老13人の中に三善康信がいた。  貴族出身で朝廷の官僚だった康信は、頼朝...(続きを読む)

    5月21日号

  • 大寺院と天下取りの城づくり(二階堂氏)

    鎌倉のとっておき 〈第109回〉

    大寺院と天下取りの城づくり(二階堂氏)

     源頼朝亡き後、幕府の運営を合議して決めていた宿老13人の中に二階堂行政(ゆきまさ)がいた。 行政は、1189年奥州藤原氏の征伐(奥州合...(続きを読む)

    5月14日号

  • 鎌倉夏ごよみ〜水無月から〜

    鎌倉のとっておき 〈第108回〉

    鎌倉夏ごよみ〜水無月から〜

     鎌倉の夏は、海が主役とのイメージも強いが、街中(まちなか)では古(いにしえ)の人々の思いを今に伝える行事も数々行われている。...(続きを読む)

    5月7日号

  • 鎌倉の中の院政期文化〜勝長寿院跡〜

    鎌倉のとっておき 〈第107回〉

    鎌倉の中の院政期文化〜勝長寿院跡〜

     金沢街道沿い大御堂橋の交差点を南へ入った大御堂ヶ谷に、かつて源頼朝が父義朝の供養のため建立した勝長寿院という大寺院があった。 勝長寿院...(続きを読む)

    4月30日号

  • 鎌倉幕府の知恵袋(大江氏)

    鎌倉のとっておき 〈第106回〉

    鎌倉幕府の知恵袋(大江氏)

     源頼朝亡き後、幕府の運営を合議して決めていた宿老13人の中に大江広元がいた。 貴族出身の広元は朝廷の官僚だったが、頼朝の招きで鎌倉に入...(続きを読む)

    4月16日号

  • 北条政子ゆかりの地へ

    鎌倉のとっておき 〈第105回〉

    北条政子ゆかりの地へ

     北条政子は、源頼朝が罪人の子として伊豆に配流されていた際にその妻となり、頼朝亡き後は出家し、将軍となったわが子頼家や実朝の幕府運営を支え、「尼将軍」と呼ばれた...(続きを読む)

    4月2日号

  • 尼将軍、北条政子とは?

    鎌倉のとっておき 〈第104回〉

    尼将軍、北条政子とは?

     源頼朝の妻、北条政子は、伊豆に配流された頼朝のお目付け役だった小豪族、北条時政の娘だが、夫が征夷大将軍になったため、今でいう「ファーストレディ」へと躍進した...(続きを読む)

    3月12日号

  • 観音菩薩を訪ねて

    鎌倉のとっておき 〈第103回〉

    観音菩薩を訪ねて

     寺院の数も100を超える鎌倉では、様々な姿の仏様(像)に出会うことができる。  仏様は大きく分けて、如来、菩薩、天、明...(続きを読む)

    2月19日号

  • 踏切の傍らにひっそりと

    鎌倉のとっておき 〈第102回〉

    踏切の傍らにひっそりと

     江ノ電由比ヶ浜駅を鎌倉方面に進んで2つ目の踏切の傍ら、観光客も気付かず通り過ぎでしまうほどひっそりとその句碑はあります。...(続きを読む)

    2月5日号

  • 鎌倉で舞い踊る

    鎌倉のとっておき 〈第101回〉

    鎌倉で舞い踊る

     鎌倉に縁(ゆかり)の舞といえば鎌倉期の「白拍子の舞」がある。この舞は、烏帽子姿の女性が太刀を差すなど男姿になって舞うものだが、その名手が源義経の愛妾...(続きを読む)

    1月29日号

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