鎌倉のとっておき 〈第102回〉
踏切の傍らにひっそりと
江ノ電由比ヶ浜駅を鎌倉方面に進んで2つ目の踏切の傍ら、観光客も気付かず通り過ぎでしまうほどひっそりとその句碑はあります。...(続きを読む)
2月5日号
鎌倉のとっておき 〈第102回〉
江ノ電由比ヶ浜駅を鎌倉方面に進んで2つ目の踏切の傍ら、観光客も気付かず通り過ぎでしまうほどひっそりとその句碑はあります。...(続きを読む)
2月5日号
鎌倉のとっておき 〈第99回〉
源頼朝亡き後、鎌倉幕府の運営を合議して決めていた宿老13人の中に安達盛長がいた。盛長は、頼朝が罪人の子として伊豆に流された時からの側近だった。...(続きを読む)
10月30日号
鎌倉のとっておき 〈第98回〉
鎌倉には、明治から昭和初期にかけ多くの洋館が建てられ、いわゆる別荘文化が花開きました。その1つ、江ノ電由比ヶ浜駅から海岸へ向かう住宅街にある「かいひ...(続きを読む)
10月23日号
鎌倉のとっておき 〈第96回〉
鎌倉駅西口から市役所方面に真っ直ぐ向かい、交差点を北へ進んだ寿福寺手前に八坂大神という神社がある。八坂大神は鎌倉時代初期の御家人、相馬師常が自邸の守...(続きを読む)
10月9日号
鎌倉のとっておき 〈第94回〉
「三浦」の地名については、奈良期の歴史書『日本書紀』に既に「御浦(みうら)郡」との表記があり、後に「東、西、南の三方が海で、入り組んだ海岸(浦)で囲...(続きを読む)
9月11日号
鎌倉のとっておき 〈第93回〉
鎌倉幕府には、その代表的な役所として、軍事面で武士(御家人)を統率する「侍所」、各種の事務手続きを行う「政所」、主に相続や領地争いの裁判を行う「問注...(続きを読む)
9月4日号
鎌倉のとっておき 〈第92回〉
奈良時代創建といわれる真言宗の古刹、腰越の宝善院の境内地内で、駐車場横に建つ和洋折衷住宅が今年3月、国登録有形文化財に答申された。...(続きを読む)
8月28日号
鎌倉のとっておき 〈第91回〉
源頼朝亡き後、鎌倉幕府の将軍は、武芸に優れた長男の頼家が継いだが、その妻(側室)は、頼朝挙兵から武功のあった比企能員(ひきよしかず)の娘、若狭局(わ...(続きを読む)
8月21日号
鎌倉のとっておき 〈第90回〉
松尾芭蕉の「夏草や兵どもが夢のあと」で知られる奥州平泉。平泉は岩手県の南に位置し、平安時代末期に東北地方を治めた奥州藤原氏が拠点を構えた地である。...(続きを読む)
8月14日号
鎌倉のとっておき 〈第89回〉
源頼朝が鎌倉に本格的な武家政権を樹立すると、鎌倉には多くの御家人達が集まり、鎌倉幕府に奉公するようになっていった。今回取り上げる毛利氏も鎌倉に勤仕し...(続きを読む)
8月7日号
清流の息吹を訪ねて 鎌倉淡水魚紀行vol.3
知名度100%!とも言える大衆的なウナギですが、その私生活については、まだまだ知らない事だらけです。 特に繁殖地に関...(続きを読む)
7月31日号
鎌倉のとっておき 〈第88回〉
武士の頂点を極めた源頼朝の人生最大のピンチは、1180年平氏討伐で挙兵後、大敗した石橋山(小田原市)の戦いにあった。...(続きを読む)
7月31日号
清流の息吹を訪ねて 鎌倉淡水魚紀行vol.2
前回は盛夏のアユについてお話しましたが、夏の神戸川でアユの撮影をしていると、カメラのファインダー越しに思いがけない珍客が入り込むことが多々あります。...(続きを読む)
7月24日号
鎌倉のとっておき 〈第85回〉
浄明寺バス停の先、滑川をのぞむ場所に、少し前から一般公開されるようになった「一条恵観山荘」はある。 江戸時代初頭に、...(続きを読む)
6月26日号
鎌倉のとっておき 〈第83回〉
「伊能忠敬測量日記」(佐久間達夫/校訂)は日本地図を作製するため、全国の海岸線を測った伊能忠敬の業務記録である。ルートや各地で応対した村役人、逗留先...(続きを読む)
6月12日号
鎌倉のとっておき 〈第82回〉
源頼朝が鎌倉に武家政権を樹立すると、御家人達が集住し、やがて各地の所領と関係を深めていった。今回取り上げる茂木氏も鎌倉に勤仕していた一御家人である。...(続きを読む)
4月3日号
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2020年12月18日号
2021年2月12日号