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鎌倉 社会

公開日:2016.03.11

被災地ツアー開催、大津さんが寄稿
「極限のなか、紙一重の生死感じた」

  • 南三陸防災庁舎前で手を合わせる参加者

 防犯・防災ボランティア団体「鎌倉ガーディアンズ」は2月27日、被災地をめぐるツアーを開催した。参加したのは市民ら55人。代表の大津定博さんに当日の様子を綴ってもらった。

閖上慰霊碑

 仙台駅を出発し、午前10時15分に到着。仙台空港のある名取市閖上地区では、犠牲者が突出して多かった(950名)。

 理由は仙台方面への唯一の導線である閖上大橋が事故で通行止めとなり、車で逃げようとした大勢の人が身動きできなくなったことである。

 併せて、高台にある公民館に既に避難していた住民が、消防団員の指示により徒歩10分の中学校へ移動中、津波の被害で数百名が亡くなる。 後日、その指示自体は間違っていない事が判明する。現地資料館で10分ほどの映像を見るが、涙を流す方が大勢いた。

南三陸防災庁舎

 到着は午後1時。南三陸町の元庁舎であった三階建ての防災庁舎が、現在、震災遺構として残っている。

 高さ12mの庁舎を15m近い津波が襲った。

 職員の遠藤未希さんが防災無線で62回も避難を呼びかけた。「上へ上がって未希ちゃん、上へあがって」を最後に放送は途切れる。遠藤さんは2カ月後、海中より遺体で発見される。防災庁舎には30名が避難したが、10名しか生存できなかった。青空とのどかな風景の中では、地獄絵は全く想像できない。

大川小学校

 午後2時半に到着。ここでは生徒74名、職員11名が亡くなった。生存者は5名のみ。当時、卒業式を控えた小学校6年生のお子さんが犠牲になった佐藤和隆さんから当日の状況を聞くことができた。

 大川小では50分間も校庭に児童を待機させて、高台ではなく河口方面へ移動中に津波の被害。折しも校長は休暇。指示系統やマニュアルが不明だった様子。教職員の判断が問われている。学校には裏山があり、避難経路は存在した。

 現在、遺族と行政が裁判中である。 死なずにすんだ命を、誤った行動によりとてつもない犠牲者を出してしまった。子どもたちの恐怖と心細さと無念は計り知れない。佐藤さんの「一番安全と思っていた学校で、大勢の命が奪われた事が無念でならない」との言葉が心に響いた。

 佐藤さんはこのような災禍にもかかわらず、真っ直ぐ前向きに語って頂き、むしろ私たちが勇気づけられたかもしれない。

最後に

 被災地の現状を、真実を、鎌倉に帰ってからも伝えていきたいと思う。

 一つの判断、あるアクシデントが生死を分けた。「生死は紙一重」。行政や為政者はその自覚を持って欲しい。

 そして、日々感謝の気持ちで、私たちは毎日を一生懸命に生きていかねばならない。この日を、参加者は、終生決して忘れないと思う。

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