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鎌倉 コラム

公開日:2017.09.08

鎌倉と源氏物語〈第20回〉
鎌倉と繋がり深い後嵯峨天皇の四人の皇子

  • 高峰顕日が住持を勤めた浄智寺

 「武士の都」として知られる鎌倉ですが、『源氏物語』と深い関係があることはあまり知られていません。文化薫る歴史を辿ります。



 鎌倉幕府の決定で即位された後嵯峨天皇には、鎌倉と特に関係ある皇子が四人いられます。お一人が二条を寵愛した後深草院。もうお一人は第六代将軍宗尊親王ですが、後二人、高峰顕日と亀山天皇がいられます。年齢順に高峰顕日、宗尊親王、後深草院、亀山天皇のご兄弟です。



 高峰顕日は、建長寺で修行し住持を勤めたこともある禅僧で、瑞泉寺の庭園で有名な夢窓疎石の師でいられます。浄妙寺、浄智寺の住持もされました。ご兄弟というのが不思議なほど後深草院と対照的に清廉潔白な方で、幕府権力と密着する鎌倉の仏教界を嫌い、生涯の多くを那須の雲巌寺に籠もって過ごされました。



 亀山天皇は、後深草院と同じく大宮院が母君でいられます。大宮院は病弱な体質の後深草院より健康で積極的な亀山院を贔屓していて、後深草院は17歳で退位させられ、亀山天皇が即位されました。後深草院の恨みは深かったといいます。



 亀山天皇は蒙古襲来の折の天皇で第8代執権時宗の時代。幕府には若い時宗を補佐する重鎮の北条実時がいました。「尾州家河内本源氏物語」の奥書に名を残すあの実時です。鎌倉幕府と朝廷、時宗と亀山天皇が力を合わせて元寇に立ち向かい、日本は勝利しました。



 兄弟間のコンプレックスは根が深いといいます。事実か否かは別として、二条が亀山天皇と関係を持ったという噂に激怒した後深草院は二条を宮廷から追い出しました。



織田百合子

 

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