鎌倉のとっておき 〈第46回〉 中世鎌倉の子育て事情
鎌倉の寺社には、安産や子育て、恋愛や長寿など様々なご利益がある。
特に子育ては、光照寺や妙法寺(山崎)など子育て地蔵もあり有名だ。
子育てには家族の協力も大切だが、平安時代、武士の住まいは夫婦別居、子は母と同居が一般的だった。中世鎌倉になると、それまでの通い婚から徐々に夫婦同居へと変化していったという。同居婚の起源である。
当時は戦への備えが大事。そこで武士は、より多くの親族を形成し、武士団として力を強化するため、子どもが生まれると、子の養育を他の武家(乳母)に任せることで姻戚関係を広げていった。子育ての分業化でもある。
男子は武士の世継ぎとなるため、読み書きなどを学びに仏教寺院に通い、女子は武士の女房となるためのしつけが施されたと聞く。
かたや庶民の大半は、農業中心の自給自足の生活だった。
吉田兼好は『徒然草』の中で、「人に必要なのは、一に食べもの、二に着るもの、三に住むところ。これに薬を加えた四つのほかを求めるのは贅沢だ」との旨記しており、当時の日常生活の厳しさも伺える。
こうした中、庶民の子育ては、手の空いている母親や祖母など女性に任されていたようだ。また当時の絵巻には、商工業の子どもたちが店や工事現場で手伝う姿も描かれるなど、仕事場と生活が一体化した様子は、現在の子育てにも通じる形である。
毎回「住みたい街ランキング」上位の鎌倉、子育てのご利益も期待できる街である。
石塚裕之
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